ブログの基本「地域性境界の消滅にご用心!!」
本来でしたら、
ブログの基本「日本人は議論が出来ない」をアップする予定でしたが、
非常に長い内容となるため、
別の以前からアップしたかった内容に差し替えました。
「日本人は議論が出来ない」は今しばらくお待ち下さい。
m(u u)m
まず、個人的な感覚をお伝えしますので、
ご自分に当てはめて考えてください。
私は東京の都心部で生まれ育ち、
現在は横浜で暮らしております。
つまり、生まれてからズッと首都圏で生活しております。
周りで付き合う方で、地方出身者の方はいるにはいます。
けれども、小中高までは、ほとんど地方出身者の方と知り合うチャンスはありませんでした。
ようやく大学以降で少し出てきたくらいです。
社会人になってからも、
いるにはいますが、大抵は東京で暮らして10年とかの人であり、
あくまでも遠方の土地に密着した方と言葉を交わす事はありません。
コレは考えてみれば当たり前の事だと思います。
その土地で生まれ育った場合、
やはり、近所の方との付き合いがほとんどで、
同じ土地柄、同じような生活習慣の中で生活しています。
地方から首都圏に移って来た方も、
10年もすれば慣れて、一応、同化して行きます。
(もちろん、生まれ故郷を忘れる事は無いでしょうけど)
さて、ここでブログについて考えてみます。
ブログはかなり特殊です。
ホームページを開設して掲示板を出せば、
世界の方々との通信は可能になります。
日本語と言う制約はあれど、
日本語を使う人とは、非常に広い、ワールドワイドでの意見交換が可能になります。
しかし、ホームページは更新が難しいので、
なかなか相互の意見交換と言う点においては厳しいと思います。
一方、SNSやミキシィ、モバゲー、プロフなどの世界もありますが、
コレは逆にインターネットの閉鎖性を利用した、
かなり限定的な使用となって来るため、
不特定多数の人間は排除されています。
つまり、趣味性が高くなります。
ところがブログ・・・・・
ホームページのワールドワイド性とSNSなどの閉鎖性の両方が選択できます。
しかも、相互通信性の機能は素晴らしいです。
ここで問題にしたいのは、
ワールドワイド性、つまり、「地域性境界の消滅」です。
ブログ初心者の場合、どうしてもこの感覚が理解できません。
何故なら「今までには全く無かった感覚」だからです。
さらに厄介な事に「私達は見知らぬ物を否定しがち」です。
例えば、私が友人達の集まりで、こう言ったとします。
↓あくまでも例文です。事実関係ではありません。
「この間さ~、仕事で九州に行って来たんだ。
言葉が全然分からなくて苦労したよ。
その上、レンタカーで走ってたら、変な交通規制があってさ・・・・・
違反切符を切られたよ。
なんだよ、九州って・・・しょうもない場所だな。」
「へぇ~、そうなんだ。」
↑こんな感じで会話は終わるでしょう。
しかし、この事をブログでアップしたとします。
間違いなく、九州の方も目にするでしょう。
つまり、地域による境界はブログの上では無いのです。
あらゆる地域に居住している、日本語を解するブロガーが目にするのです。
すると、
「その交通規制って何ですか?」
「その土地土地での言葉に違いがあるのは当たり前だと思います。」
「九州はそんなに変な場所ではありません。」
↑と言った、九州の人からすると当たり前の感覚をぶつけてきます。
今までの私達の生活では有り得なかった、
遠く離れた場所で暮らす人と、いきなり意見交換が始まるのです。
もっと言えば、海外に赴任している方とも。
従って、見知らぬ地域の事を迂闊に否定するのは大変危険です。
疑問を呈するのなら良いのですが、
嫌な事があったりすると、どうしても攻撃をしたくなってしまいます。
しかし、ブログの上では大変な危険行為だと言えます。
ならば、嫌な見解はアップ出来ないのか?と言うとそうではありません。
工夫が必要になります。
テレビ番組で、県の文化を紹介して茶化す番組があります。
私はテレビを詳しく見ない者ですので、番組名は思い出せません。
しかし、この番組は巧妙に作られています。
その県出身者の芸能人を弁護人として参加させているのです。
従って、例えば和歌山県を徹底的に茶化したとしても、
和歌山県出身の芸能人が、立派に弁護をします。
また、お国自慢もします。
コレは、その県出身の人から見ると、
バカにされた、と突っ込む事は出来なくなります。
見事な手法かと思います。
ちなみに私がブログ上でよく茶化すのは「東北地方」です。
その場合、必ず「私の母は東北地方の農家出身」と入れます。
この事によって、東北地方在住者は、私を「縁のある者」と見做すため、
迂闊な攻撃をしにくくする働きが生じます。
コレは一例に過ぎません。
しかし、見知らぬ土地の事をブログで話題にする場合は、
大変な注意が必要だと感じております。
「食べ物」「言葉」「風俗習慣」「景観」・・・・・迂闊な一言が命取りになったりします。
しかし、楽しいんだな、この茶化しが・・・(爆)
(^0^;v
余談:ブログを始めてからの私は非常に変わったと思う。
今まで知らなかった関西・九州・中国・四国等々、
一地方の細かい情報がいきなりダイレクトに入ってくる。
おそろしく身近になってしまうのである。
この感覚は非常に楽しい。
何となく敬遠していた土地・・・しかし、ブロ友がそこで暮らしている事が判明する。
興味を持ち始める・・・旅行に行ってみようかな?と思い始める。
旅行に行った場合、その楽しさの度合いが桁外れに大きくなる。
例えば、今年行った悲劇の種子島皆既日食旅行!!(爆)
今までの人生において種子島とは教科書の中の鉄砲伝来くらいしか縁が無かった。
しかし、ブロ友のお陰で、普通にそこで暮らしていた方、親戚のいる方がいる。
情報を得、そして、実際に現地で会ったり。
ブログ上の地域性境界の消滅・・・旅行において、決定的な楽しさを与えてくれる。
終わり
ブログの基本「日本人は議論が出来ない」をアップする予定でしたが、
非常に長い内容となるため、
別の以前からアップしたかった内容に差し替えました。
「日本人は議論が出来ない」は今しばらくお待ち下さい。
m(u u)m
まず、個人的な感覚をお伝えしますので、
ご自分に当てはめて考えてください。
私は東京の都心部で生まれ育ち、
現在は横浜で暮らしております。
つまり、生まれてからズッと首都圏で生活しております。
周りで付き合う方で、地方出身者の方はいるにはいます。
けれども、小中高までは、ほとんど地方出身者の方と知り合うチャンスはありませんでした。
ようやく大学以降で少し出てきたくらいです。
社会人になってからも、
いるにはいますが、大抵は東京で暮らして10年とかの人であり、
あくまでも遠方の土地に密着した方と言葉を交わす事はありません。
コレは考えてみれば当たり前の事だと思います。
その土地で生まれ育った場合、
やはり、近所の方との付き合いがほとんどで、
同じ土地柄、同じような生活習慣の中で生活しています。
地方から首都圏に移って来た方も、
10年もすれば慣れて、一応、同化して行きます。
(もちろん、生まれ故郷を忘れる事は無いでしょうけど)
さて、ここでブログについて考えてみます。
ブログはかなり特殊です。
ホームページを開設して掲示板を出せば、
世界の方々との通信は可能になります。
日本語と言う制約はあれど、
日本語を使う人とは、非常に広い、ワールドワイドでの意見交換が可能になります。
しかし、ホームページは更新が難しいので、
なかなか相互の意見交換と言う点においては厳しいと思います。
一方、SNSやミキシィ、モバゲー、プロフなどの世界もありますが、
コレは逆にインターネットの閉鎖性を利用した、
かなり限定的な使用となって来るため、
不特定多数の人間は排除されています。
つまり、趣味性が高くなります。
ところがブログ・・・・・
ホームページのワールドワイド性とSNSなどの閉鎖性の両方が選択できます。
しかも、相互通信性の機能は素晴らしいです。
ここで問題にしたいのは、
ワールドワイド性、つまり、「地域性境界の消滅」です。
ブログ初心者の場合、どうしてもこの感覚が理解できません。
何故なら「今までには全く無かった感覚」だからです。
さらに厄介な事に「私達は見知らぬ物を否定しがち」です。
例えば、私が友人達の集まりで、こう言ったとします。
↓あくまでも例文です。事実関係ではありません。
「この間さ~、仕事で九州に行って来たんだ。
言葉が全然分からなくて苦労したよ。
その上、レンタカーで走ってたら、変な交通規制があってさ・・・・・
違反切符を切られたよ。
なんだよ、九州って・・・しょうもない場所だな。」
「へぇ~、そうなんだ。」
↑こんな感じで会話は終わるでしょう。
しかし、この事をブログでアップしたとします。
間違いなく、九州の方も目にするでしょう。
つまり、地域による境界はブログの上では無いのです。
あらゆる地域に居住している、日本語を解するブロガーが目にするのです。
すると、
「その交通規制って何ですか?」
「その土地土地での言葉に違いがあるのは当たり前だと思います。」
「九州はそんなに変な場所ではありません。」
↑と言った、九州の人からすると当たり前の感覚をぶつけてきます。
今までの私達の生活では有り得なかった、
遠く離れた場所で暮らす人と、いきなり意見交換が始まるのです。
もっと言えば、海外に赴任している方とも。
従って、見知らぬ地域の事を迂闊に否定するのは大変危険です。
疑問を呈するのなら良いのですが、
嫌な事があったりすると、どうしても攻撃をしたくなってしまいます。
しかし、ブログの上では大変な危険行為だと言えます。
ならば、嫌な見解はアップ出来ないのか?と言うとそうではありません。
工夫が必要になります。
テレビ番組で、県の文化を紹介して茶化す番組があります。
私はテレビを詳しく見ない者ですので、番組名は思い出せません。
しかし、この番組は巧妙に作られています。
その県出身者の芸能人を弁護人として参加させているのです。
従って、例えば和歌山県を徹底的に茶化したとしても、
和歌山県出身の芸能人が、立派に弁護をします。
また、お国自慢もします。
コレは、その県出身の人から見ると、
バカにされた、と突っ込む事は出来なくなります。
見事な手法かと思います。
ちなみに私がブログ上でよく茶化すのは「東北地方」です。
その場合、必ず「私の母は東北地方の農家出身」と入れます。
この事によって、東北地方在住者は、私を「縁のある者」と見做すため、
迂闊な攻撃をしにくくする働きが生じます。
コレは一例に過ぎません。
しかし、見知らぬ土地の事をブログで話題にする場合は、
大変な注意が必要だと感じております。
「食べ物」「言葉」「風俗習慣」「景観」・・・・・迂闊な一言が命取りになったりします。
しかし、楽しいんだな、この茶化しが・・・(爆)
(^0^;v
余談:ブログを始めてからの私は非常に変わったと思う。
今まで知らなかった関西・九州・中国・四国等々、
一地方の細かい情報がいきなりダイレクトに入ってくる。
おそろしく身近になってしまうのである。
この感覚は非常に楽しい。
何となく敬遠していた土地・・・しかし、ブロ友がそこで暮らしている事が判明する。
興味を持ち始める・・・旅行に行ってみようかな?と思い始める。
旅行に行った場合、その楽しさの度合いが桁外れに大きくなる。
例えば、今年行った悲劇の種子島皆既日食旅行!!(爆)
今までの人生において種子島とは教科書の中の鉄砲伝来くらいしか縁が無かった。
しかし、ブロ友のお陰で、普通にそこで暮らしていた方、親戚のいる方がいる。
情報を得、そして、実際に現地で会ったり。
ブログ上の地域性境界の消滅・・・旅行において、決定的な楽しさを与えてくれる。
終わり