人間の性(さが)。死んでも良いから「男」でありたい・・・

以下は性(せい)についての真面目な思考です。

管理人の現時点での考え方。

何事もバランスを欠いてはアウトである。

つまり日常生活に支障をきたすようになったら、どんな事でも異常となる。

その中でも「性の問題」はかなり深刻で人生に大きな影響を及ぼす、と。

「ヴァイアグラ」と言う薬が世に出回っている。

男は、女性とする際、どうしても性器が反応しないと行為は成立しない。
(それ故、強姦罪とは男性にのみ適用される法律なのである)

しかし、年齢やあるいは病気・事故などで反応しなくなる事態になる。

周りは笑いながら言う。
「もう、年なんだから。何を今更。(爆)」と。

私は、女性の感覚は理解できないが、
友人が介護に少し携わった事があり、その時の体験談。

その老婆は痴呆症で、糞尿は垂れ流し。
下手をするとウンコをタンスにしまい込んだりするほど・・・・・

しかし、オムツを彼が替えようとすると、
必死になって抵抗する。

もう痴呆が進行して会話もほとんど成り立たない。

けれども「女」である事を捨てようとはしていなかった、と。

この友人の介護体験は強烈な印象を私に与えた。

我々人間は、理性を手に入れた。

理性的な行動が「善」で、非理性的な行動は「悪」と。

性行動を「秘め事」とした。

特に、文化文明が進むにつれて、秘め事の度合いは大きくなった。

しかし、間違ってはイケない。

我々の理性を司る脳の部分は大脳皮質の表の僅かな薄い部分にしか過ぎない。

「性衝動」はもっと心の奥底の深い所にある。

フロイトはソレを「リビドー」と呼んだ。

もしかすると、人間の行動原理ですらあるかと。

巨万の富を得た男。

しかし、もし、その性器が既に役に立たないとしたら・・・・・

人生の楽しみの大半が失われる事になる。

だからこそ、たとえ死んでも良いから、
「ヴァイアグラ」を手に入れようとする。

そう、重大な副作用の心臓発作を巻き起こす可能性があっても・・・・・

我々は笑えるのか???

私は・・・公的の場において、性の問題を軽視したり、茶化したりする発言をする者を一切信用しない。

「性の問題」は人間の、少なくとも、男の行動原理であると思っている。

ある心理学者は言った。

「男は、女の声援が無くては生きて行けない存在」と。

当たっていると思う。

男の行動は、常にどこかで女を意識している。

もう、誰の言葉か忘れているが、名言だと思う。

「男だけの天国で平和に暮らすよりも、私は、たとえ地獄でも女がいる方を迷わず選ぶ」と。

終わり