音楽は退化している???古典音楽と現代音楽・・・
これから書く事は特定の曲自身の良し悪しを論じるものではない。
あくまでも音楽的構成の事を指している事にご注意を。
例:「マタイ受難曲」と「兄弟船」のどちらが優れているか?
などと言う問題ではない。
そもそもこのような問いそのものが無意味である。
ちなみに個人的には両方好きである。
当然、船釣りの時にはマタイは聴けない。
兄弟船に決まっているっ!!(爆)
さて、現代人は現代の音楽が一番進んでいるに決まっている、と思い込んでいないだろうか?
(私自身もそう思っている。が、物凄く揺らいできた)
シンセサイザーや見事な編成のオーケストラ。
はたまた最新の機器を使用するスタジオ録音・・・
しかし、音楽そのものの構成に目を向けてみよう。
音楽とは、縦の音、即ち和音(ドミソとかドファラのそれである)と
横の音、即ちメロディで成り立っている。
和音だけでは音楽になりえないが、
和音の無い単一のメロディだけの音楽だけだと寂しくなる。
現代の音楽はほとんどが単一のメロディである。
複数のメロディが重なる事はほとんどない。
単一のメロディに装飾的な和音を追加しているだけに過ぎない。
歌いながらバックコーラスでラップっぽい語りが入る音楽はあるが、
それは旋律とは少し違うように思っている。
「対位法」
バッハの音楽を聴く方はご理解いただけると思う。
そう、バロック時代の音楽の中でもバッハを頂点としたもの。
フーガやカノンと言った技法を使い、
複数のメロディが複雑に絡み合って構成される音楽。
この対位法の音楽は、もしかすると、バロック時代において、
少なくとも「音楽的構成」では頂点を極めていたのかも知れない。
それ以降の音楽は「音楽的構成」においては退化している、と。
必ずしも「音楽の優劣ではない」事にくれぐれもご注意を。
対位法の音楽を聴くと言う事は・・・・・
同じ曲を聴いて、その時には「そういう風に解釈して聴く」のだが、
何年も経ってから同じ曲を聴いて「全然別の解釈」が成り立つ事に驚いたり・・・
少なくとも私の耳では、バッハの音楽は・・・滅茶苦茶複雑で滅茶苦茶楽しい・・・
あくまでも音楽的構成の事を指している事にご注意を。
例:「マタイ受難曲」と「兄弟船」のどちらが優れているか?
などと言う問題ではない。
そもそもこのような問いそのものが無意味である。
ちなみに個人的には両方好きである。
当然、船釣りの時にはマタイは聴けない。
兄弟船に決まっているっ!!(爆)
さて、現代人は現代の音楽が一番進んでいるに決まっている、と思い込んでいないだろうか?
(私自身もそう思っている。が、物凄く揺らいできた)
シンセサイザーや見事な編成のオーケストラ。
はたまた最新の機器を使用するスタジオ録音・・・
しかし、音楽そのものの構成に目を向けてみよう。
音楽とは、縦の音、即ち和音(ドミソとかドファラのそれである)と
横の音、即ちメロディで成り立っている。
和音だけでは音楽になりえないが、
和音の無い単一のメロディだけの音楽だけだと寂しくなる。
現代の音楽はほとんどが単一のメロディである。
複数のメロディが重なる事はほとんどない。
単一のメロディに装飾的な和音を追加しているだけに過ぎない。
歌いながらバックコーラスでラップっぽい語りが入る音楽はあるが、
それは旋律とは少し違うように思っている。
「対位法」
バッハの音楽を聴く方はご理解いただけると思う。
そう、バロック時代の音楽の中でもバッハを頂点としたもの。
フーガやカノンと言った技法を使い、
複数のメロディが複雑に絡み合って構成される音楽。
この対位法の音楽は、もしかすると、バロック時代において、
少なくとも「音楽的構成」では頂点を極めていたのかも知れない。
それ以降の音楽は「音楽的構成」においては退化している、と。
必ずしも「音楽の優劣ではない」事にくれぐれもご注意を。
対位法の音楽を聴くと言う事は・・・・・
同じ曲を聴いて、その時には「そういう風に解釈して聴く」のだが、
何年も経ってから同じ曲を聴いて「全然別の解釈」が成り立つ事に驚いたり・・・
少なくとも私の耳では、バッハの音楽は・・・滅茶苦茶複雑で滅茶苦茶楽しい・・・