息子が死ぬかもしれない時に・・・
小学校三年生の時、私は死にかかった。
最初、近所の医者に行ったら「夏風邪でしょう」と言われた。
しかし、1週間経っても全然熱が下がらず、
幻聴まで聞こえてきた。
母は看護士だったので、
「これは普通の風邪とは違う」と直感し、
日赤医療センターに行った。
即座に入院が決定し、その後1ヶ月以上の闘病生活になった。
「異型肺炎」で手遅れ寸前だった。
最初の一週間は頭と脇と股を氷で冷し、酸素吸入、点滴と言う毎日だった。
ちなみに2回ほど「カンフル」を打たれたほどだ。
血液にも異常をきたし、極めて危ない状況だった。
そんな時、私の父が見舞いに来て言った。
父「ウンコとオナラが一緒に出るのを何て言うか知っているか?」
私「ハァハァ(←絶え絶えの息)、いや、知らない、ハァハァ」
父「ウンペと言う」
と言って帰って行った。
夜になり、母が付き添いのためやって来た。
私は母に言った。
私「ハァハァ、ウンコとオナラが一緒に出るのを何て言うか知っている?ハァハァ」
母「えっ!?何だって?いや、分らないよ・・・」
私「ハァハァ、ウンペって言うんだ、ククククク(笑)、ハァハァ」
もはや精神錯乱を起こし、危篤状態になったと思った母は、
母「(泣きながらナースコールを押そうとしながら)ウウウ、誰が言ったんだい?」
私「さっきパパが来てそう言って帰って行った・・・」
母「あのクソジジイーーーッ!!息子が死ぬかも知れない時に何て事をっ!!」
幸い私は生還した。
バカな親にバカなガキ、救いようがないかも・・・
死ぬかもしれないって時に・・・
(^^;
最初、近所の医者に行ったら「夏風邪でしょう」と言われた。
しかし、1週間経っても全然熱が下がらず、
幻聴まで聞こえてきた。
母は看護士だったので、
「これは普通の風邪とは違う」と直感し、
日赤医療センターに行った。
即座に入院が決定し、その後1ヶ月以上の闘病生活になった。
「異型肺炎」で手遅れ寸前だった。
最初の一週間は頭と脇と股を氷で冷し、酸素吸入、点滴と言う毎日だった。
ちなみに2回ほど「カンフル」を打たれたほどだ。
血液にも異常をきたし、極めて危ない状況だった。
そんな時、私の父が見舞いに来て言った。
父「ウンコとオナラが一緒に出るのを何て言うか知っているか?」
私「ハァハァ(←絶え絶えの息)、いや、知らない、ハァハァ」
父「ウンペと言う」
と言って帰って行った。
夜になり、母が付き添いのためやって来た。
私は母に言った。
私「ハァハァ、ウンコとオナラが一緒に出るのを何て言うか知っている?ハァハァ」
母「えっ!?何だって?いや、分らないよ・・・」
私「ハァハァ、ウンペって言うんだ、ククククク(笑)、ハァハァ」
もはや精神錯乱を起こし、危篤状態になったと思った母は、
母「(泣きながらナースコールを押そうとしながら)ウウウ、誰が言ったんだい?」
私「さっきパパが来てそう言って帰って行った・・・」
母「あのクソジジイーーーッ!!息子が死ぬかも知れない時に何て事をっ!!」
幸い私は生還した。
バカな親にバカなガキ、救いようがないかも・・・
死ぬかもしれないって時に・・・
(^^;