「ハーモニカ」

基本的に私は幽霊なぞ信じていない。
しかし、なかなか割り切れない体験をした事があ。
そんな体験談を1つ。

さて、今から二十年くらい前、場所は横浜市北部の広大な畑地帯の一角。

当時(おそらく今も)その辺りは昼でも人通りが少なく、
街灯も少なく、夜になると真っ暗な場所でした。
私はその頃、天体観測が好きで、
時折、墓場が近くにあるのにもかかわらず、
真夜中一人で星を見ておりました。

二月のある週末、
いつもの場所で天体望遠鏡を構えて、
たった一人で観測をしておりました。
防寒ズボン、防寒ジャケットに身を包み寒さに震えながら。

しかし、なぜかその日に限り、
嫌な予感がし、いつもは使わないラジオをつけて、
不安を紛らわせながら星を見ていました。

誰かに見られている気がするのです。
それもごく近くで。
しばらくすると、その感覚が確信へと変わりました。
音がするのです。
最初はラジオの雑音かと思っておりました。
しかし、明らかに違う。
私はラジオのスイッチを切りました。

すると、ハーモニカの音色が聞こえるのです。
音のする方に目を向けると、
20~30m離れた薄暗がりの中に、
いつの間にか畑の盛り土に腰をかけ、うずくまって、
ハーモニカを吹いている男がいるのです。
麦わら帽子をかぶり、白いランニングシャツ姿の男が。

私は、「酔狂な奴がいるな。」と思うだけで、
構わず観測を続けました。
しかし、はたと気付きました。
そう、今は二月。なぜ夏姿なのかと。

その時、ハーモニカの音が止まりました。
その方向を見ると、
いつの間にか、男が自転車に乗り、
こちらにゆっくりと向かって来るのです。

私と男の間(15mくらい離れた所)には1本の暗い街灯がありました。
「何だ、あいつは?正体を見てみよう。」と、
街灯の下を通った時に、目を凝らして見ました。

そして、見てしまいました。
そいつは、確かに麦わら帽子、白いランニングシャツ姿、
そして昭和初期型?の物凄く古い自転車に乗り、
顔は、黒い影の固まり。
さらに自転車のタイヤの下の方がよく見えない。
つまり、空中に50cmほど浮いているように、
ゆっくりこっちに向かって来る。

ここに至り、私は事の重大さに気付きました。
「どうする?逃げる?戦う?」
とっさに護身用をかねて持っていた特殊マグライトを取ろうとしました。
しかし、なぜか動けない。

10m、8m、6mと間隔は詰まってくる。
「一体何なんだ、これは?」と、間隔が5m程になった時、
いきなりそいつは反転し、去って行きました。
50mくらい先には明るい交差点があり、
私はそいつの行く先を凝視していました。
右?左?それとも真っ直ぐ?
しかし、そのいずれでもなかった。
交差点に入った瞬間、
全く突然に、すっと消えてしまった。

そして、今でも冬になると思い出す。
あのハーモニカの音色を。