正義と安全

昨日の毛利元貞氏の著作について追加がありました。

「正義と安全」は一致しない。

むしろ正義を追求した場合、危険に陥る可能性が高くなる。

この事は、冷静に考えればその通りなのだが、
犯罪に直面している場合、
そうは考えなくなるのが体験上理解できる。

本の中で実例がいくつか挙げられていた。

ある女性が毎朝通勤電車で同じ痴漢の被害に遭っていたケース。
毛利の主催する相談窓口にやってきた。

毛利「まず毎朝乗る電車の時間をずらしてみては?」

女性(怒り出しながら)
  「なぜ被害者である私が犯罪者の都合に合わせなくてはいけないのか?」

と、上記のようなケースが紹介されていた。

また、ちょっと前に起こった学習塾における、
塾講師が生徒を殺害したケースも紹介されていた。

このケースの分析は、同じ子供を持つ親として、
極めて不快でお気の毒ではあるが、
今後の参考にと考えてご紹介する。

以前から被害に遭った生徒は、
先生の事を嫌だと言っていたそうだ。

事件のちょっと前にはクラス替えか先生を辞めさせてくれ、
と言う要望を親が塾側に出していたそうだ。

この場合、生徒は「直感」により先生の異常性に早くから気付いていたのだろう。
しかし、親が「安全」より「正義」を重視したため、
事件に至ったとも考えられる。

親の取った行動は世間一般的に見て、
至極まともで当然の要求とも言える。

受験間際に塾を変更するのは極めて難しい。

しかし、塾側にとっても先生を辞めさせるのは極めて難しい。

結果論ではあるが、先生に「異常性」を感じていたのなら、
ためらわずに塾を変更すべきだったのであろう。

正義を追求してはいけない、と言っている訳ではなく、
追求し過ぎた場合は「安全」を脅かされると言う事だと思って、
私は実生活においても常にこの点に気を配るようにしている。