差別問題とは???
「差別問題とは???」
映画「風と共に去りぬ」を観て大変考えさせられてしまった。
この映画は1939年に製作されたため、
まだ公民権運動やキング牧師暗殺前となる。
この映画の中で描かれている黒人達は、
特に虐待されてはいない。
アメリカ南部の「古き良き時代」を構成している明るい人達と言ったイメージだ。
上流階級の白人の家にいる黒人の女中頭は、
お嬢様に対してかなり厳しい口調で命令するし、
主人や奥様もその黒人女中に絶対的な信頼をおいている。
良くも悪くも社会が安定している時は、
その社会で暮らしている人達はそれを当たり前の事として受け入れる。
奴隷ではあるが、主人や奥様が優しく裕福であるなら、
それなりに幸福な生活を送れてしまうため、
むしろその生活を維持するために、時に白人の主人よりも保守的になる。
あくまでも社会が安定的であるならば、と言う前提条件はあるが。
ちなみに昔、ヨーロッパ人が南米の奥地を探検し、未開の部族と接した時のこと。
その部族では子供の教育が非常に厳しく、
激しい暴力を普通に使っていて、
ヨーロッパ人は酷く驚いたそうだ。
あまりのことに見かねたヨーロッパ人は、
キリスト教の精神で、暴力はダメだと諭したと言う。
するとその部族では思いもよらない事が頻発したらしい。
それまでその部族では全く見られなかったノイローゼが親にも子供にも大量に起こるようになってしまった。
つまり、それまで子供を殴るのは当たり前であり、
特にそれが問題になる事もなく、
親も子供も普通に平和に暮らしていた部族の人達だったが、
ヨーロッパ人の価値観が導入された途端に社会の安定が破壊されてしまった、と。
これは単純に良い悪いでは済まされない問題だ。
もちろん暴力を安易に肯定するつもりはないし、
人種差別が良いなどと主張するつもりも全くない。
しかしながら、人間が幸福になるためにはパワー動機(勝った時に得られる幸福感)を満たす必要が必ずある。
つまり人間は本質的に差別的であるように作られている悲しい現実を無視できない。
どこかで人より優れている自分を確認しないと幸福感を得られないように出来てしまっている。
すると「風と共に去りぬ」で描かれていた昔のアメリカ南部は、
映画でも「古き良き南部の~」と表現されていたが、
ある種の理想郷と言えなくもない。
現代の価値観においては、もちろん奴隷制などとんでもない事態であるが、
残念ながらもっと進化しているはずの現代でも難民や移民、宗教の違いによる迫害が未だに後を絶たない現実がある。
ちなみに自由なはずの現代日本においては、
企業側の都合で社員に対して居住の自由を奪う事態が多発している。
転勤と言う制度だ。
この制度は、実は世界でも日本だけなのであるが、
不況下でもそれなりに安定している日本においては、
この制度を支持している他ならぬ社員達は想像以上に多い。
これは「風と共に去りぬ」に登場する保守的な黒人と全く同じ思考回路を有していると言えるだろう。
1つはっきりと言えるのは、安定的な社会において確立したヒエラルキーは人に安心をもたらすと言うこと。
逆に言うと、ヒエラルキーが確立していない社会は人に不安を感じさせる。
もちろん下層の人は不満を抱えるが、
それなりに安全が保障されていたら、むしろ保守的な立場になる。
もちろん国家の経済的な破綻が社会に不安をもたらすのは言うまでもない。
アメリカ南部ではもちろん黒人に対するリンチや酷い差別があったのだろう。
だが、常に恐怖政治を行なっていたのだろうか???
言葉は悪いが貴重な労働力を確保するためには、
それなりに厚遇しなければ大規模な農業は成立しないのである。
差別は酷いし、ダメなものである。
しかしながら人間は本質的に差別的であり続ける現実。
そして経済的な発展。
これらが結びついた時、
ある種の理想郷が見える気がするのは実に不思議な感覚だった。
映画「風と共に去りぬ」
今だからこそ、観る価値は充分にあるかと思う。
終わり
映画「風と共に去りぬ」を観て大変考えさせられてしまった。
この映画は1939年に製作されたため、
まだ公民権運動やキング牧師暗殺前となる。
この映画の中で描かれている黒人達は、
特に虐待されてはいない。
アメリカ南部の「古き良き時代」を構成している明るい人達と言ったイメージだ。
上流階級の白人の家にいる黒人の女中頭は、
お嬢様に対してかなり厳しい口調で命令するし、
主人や奥様もその黒人女中に絶対的な信頼をおいている。
良くも悪くも社会が安定している時は、
その社会で暮らしている人達はそれを当たり前の事として受け入れる。
奴隷ではあるが、主人や奥様が優しく裕福であるなら、
それなりに幸福な生活を送れてしまうため、
むしろその生活を維持するために、時に白人の主人よりも保守的になる。
あくまでも社会が安定的であるならば、と言う前提条件はあるが。
ちなみに昔、ヨーロッパ人が南米の奥地を探検し、未開の部族と接した時のこと。
その部族では子供の教育が非常に厳しく、
激しい暴力を普通に使っていて、
ヨーロッパ人は酷く驚いたそうだ。
あまりのことに見かねたヨーロッパ人は、
キリスト教の精神で、暴力はダメだと諭したと言う。
するとその部族では思いもよらない事が頻発したらしい。
それまでその部族では全く見られなかったノイローゼが親にも子供にも大量に起こるようになってしまった。
つまり、それまで子供を殴るのは当たり前であり、
特にそれが問題になる事もなく、
親も子供も普通に平和に暮らしていた部族の人達だったが、
ヨーロッパ人の価値観が導入された途端に社会の安定が破壊されてしまった、と。
これは単純に良い悪いでは済まされない問題だ。
もちろん暴力を安易に肯定するつもりはないし、
人種差別が良いなどと主張するつもりも全くない。
しかしながら、人間が幸福になるためにはパワー動機(勝った時に得られる幸福感)を満たす必要が必ずある。
つまり人間は本質的に差別的であるように作られている悲しい現実を無視できない。
どこかで人より優れている自分を確認しないと幸福感を得られないように出来てしまっている。
すると「風と共に去りぬ」で描かれていた昔のアメリカ南部は、
映画でも「古き良き南部の~」と表現されていたが、
ある種の理想郷と言えなくもない。
現代の価値観においては、もちろん奴隷制などとんでもない事態であるが、
残念ながらもっと進化しているはずの現代でも難民や移民、宗教の違いによる迫害が未だに後を絶たない現実がある。
ちなみに自由なはずの現代日本においては、
企業側の都合で社員に対して居住の自由を奪う事態が多発している。
転勤と言う制度だ。
この制度は、実は世界でも日本だけなのであるが、
不況下でもそれなりに安定している日本においては、
この制度を支持している他ならぬ社員達は想像以上に多い。
これは「風と共に去りぬ」に登場する保守的な黒人と全く同じ思考回路を有していると言えるだろう。
1つはっきりと言えるのは、安定的な社会において確立したヒエラルキーは人に安心をもたらすと言うこと。
逆に言うと、ヒエラルキーが確立していない社会は人に不安を感じさせる。
もちろん下層の人は不満を抱えるが、
それなりに安全が保障されていたら、むしろ保守的な立場になる。
もちろん国家の経済的な破綻が社会に不安をもたらすのは言うまでもない。
アメリカ南部ではもちろん黒人に対するリンチや酷い差別があったのだろう。
だが、常に恐怖政治を行なっていたのだろうか???
言葉は悪いが貴重な労働力を確保するためには、
それなりに厚遇しなければ大規模な農業は成立しないのである。
差別は酷いし、ダメなものである。
しかしながら人間は本質的に差別的であり続ける現実。
そして経済的な発展。
これらが結びついた時、
ある種の理想郷が見える気がするのは実に不思議な感覚だった。
映画「風と共に去りぬ」
今だからこそ、観る価値は充分にあるかと思う。
終わり