裁判員(陪審員)制度の危険について

裁判員陪審員)制度の危険について

結論:≪素人に判断させるのは非常に危険≫

特別な訓練を受けていない一般人は感情に支配され易く、
専門的な証拠の判定能力など当然持ち合わせていない。

従って一旦思い込んだ場合、非常に危険な方向に行ってしまう。

裁判員陪審員)制度の危険については改めて認識しておくべきかと。

さて先日、テレビを見ていたら恐ろしい番組をやっていた。

アメリカで暮らし始めた18歳のイギリス人女性が、
アルバイトでベビーシッターを始めた。

途中からだったので最初の部分を間違っていたら失礼するが、
住み込みで働いていたらしく、
住み込み先の奥さんは医者で非常に忙しい。

ベビーシッターのその女性はほとんど休みを取る事もなく働かされていたと言う。

ある日、ベビーシッターが1人で赤ちゃんの面倒を見ていた時、
突然赤ちゃんの具合が悪くなり病院に搬送される。

だが、結果的に赤ちゃんは死んでしまう。

脳に深刻なダメージがあった検査結果だった。

警察はベビーシッターの虐待による殺人と考えて、
当初、非常に微妙な捜査をした。

ベビーシッターには赤ちゃんが重大な病状だから協力して欲しいと、
色々聞き出したのだが、実はこの時点で赤ちゃんの死亡は警察では確認されていた。

警察は敢えてベビーシッターにはその事実を伝えないで、
誘導尋問を繰り返していた。

しかも本来は録音が義務付けられていたのだが、
録音もしていなかった。

結局、ベビーシッターは殺人の疑いで裁判になる。

ところが専門家が色々と死亡原因を調べると、
その女性が殺すのにはかなり無理がある状況だと判明してきた。

大人の男が1分間、非常に激しく揺さぶった上で叩きつけないとそのような症状にはならないと言う。

若い女性には全く無理だと思われた。

そもそも、その2~3週間前にも既に脳に傷を負っていた事も判明した。

ここで両親に疑惑の目が向けられても良さそうなのだが、
そうはならなかった。

何故なら。

陪審員達の心証が、イギリスとアメリカの文化的な差により、
酷く悪いものになっていたからだった。

被告の若い女性が検察の質問に答えた時、うっすらと笑ってしまうのだが、
これがアメリカ人には悪魔の笑いに見えてしまったと言う。

こういう場面ではアメリカ人は絶対に笑わないのだが、
イギリス人にはよくあると言う。
(ちなみに日本人もよくやるので、この心情は日本人なら直ぐに理解できるかと)

さらに、警察の卑怯な誘導尋問において、
被告は「赤ちゃんを置いた(pop、イギリス英語で置くを意味する)」と供述したのだが、
警官はそれを「落とした(drop)」と聞き間違えたと言う。

被告はそんな事は言ってないと主張するも、
録音が存在していない。

これだけでかなり疑わしい裁判だったと言わざるを得ないのだが。

裁判結果は「殺人罪で有罪、15年の懲役刑」だった。

泣き崩れる被告。

そうして収監されたのだが、
事態は思わぬ展開を見せる。

その後、この事件がイギリスでも報道され、
アメリカの司法に対して大々的な抗議活動が巻き起こる。

アメリカの弁護団も改めて裁判所に対してある申し入れを行なった。

それはアメリカの陪審員制度においては、
裁判長の判断において、陪審員判決を無視できる制度があると言う。

それをせよ、と弁護団は主張したのだった。

そうして裁判長は279日後に再び判決を出す。

陪審員判決を無視し「過失致死罪、懲役279日」とした。

収監されていたのが279日だったので、
彼女はその場で釈放とはなったが、それでも有罪とされたのが不服で、
現在も戦っているとか???

もっとも今、彼女はイギリスで結婚して幸せに暮らしているそうだ。

私達は、変な判決が出た時に裁判官だけに任せておくのは危ないと考える。

そうして日本でも裁判員制度が取り入れられた。

もちろんそういう判決もあるにはある。

だが、これだけは言いたい。

≪判決を非難する前に、その判決文の全文を読んだのか?≫、と。

マスコミ発表の簡略化された部分だけを読んで非難するのは非常に危険だ。

もちろん警察や検察の発表を鵜呑みにするのも危険だが、
素人判断で冤罪事件を判断するのはもっと危険だ。

裁判結果とは、裁判経験者なら分かるだろうが、
恐ろしく膨大な資料に基づいて判決が出るのである。

判決文をしっかりと読んだ場合、
そう簡単にどうにか出来るような結論ではないケースがほとんどだ。

つまり素人がどうこう言えるようなレベルのものではない。

権力の暴走は許してはならないが、
素人の暴走も許してはならない。

この当たり前の事が、裁判員陪審員)制度により、
時にかなり危険な事態を生んでしまうと思う。

とても恐い事件であったと思った。

終わり