LGBT問題と新潮45の休刊について : 言論否定社会日本の不気味さ

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先日、当ブログではLGBT問題について発言した国会議員のその後のダンマリのメチャクチャさと、
いきなり辞職を求めて国会前でデモをした人達のメチャクチャさについて書いた。

すると新潮45が休刊になったとの報道を知った。

呆れかえっている。

今からウン十年前、まだ学生だった頃にECC外語学院で習ったdebateの授業を思い出す。

日系アメリカ人らしき先生はいきなりこう言った。

「あなた方日本人は議論が出来ません。
 出来ると思っている人でも出来ません。
 感情で喚いているだけです。
 今日習うdebateなどの手法を知らない限り無理なんです。」と。

この授業は、当時典型的な日本人の塊であった私には酷く苦痛に思えた。

そして少しはdebateについて知って、
今のこの日本の現状を見るとまるで変わっていないと感じる。

感情で喚き立てる人が如何に多いか。

そこで一応当事者らしき人の動画を見つけたのでチェックしたところ。

https://youtu.be/vUDc2-qrCsY

これは酷い!!

どちらも、だ。

debateになっていない。

特に問題に思うのは、個人的にはLGBT問題否定派ではなく、
肯定派の言動だ。

彼らは聞く耳を一切持たないだけでなく、
喚き立てた挙句に新潮45を休刊にまで追い込んでしまった。

これは言論の否定と言っていい。

あからさまな上から目線で、
自分に反対する者には何をやってもいいと言う思い上がりを感じる。

掲載した動画においても、
ダンマリを決め込んでいる国会議員(これはこれで大問題だが)が、
殺してやる、などの脅迫を受けていると言う説を、
何の根拠もないのに嘘だと決めつけている。

何故、最初の発言者である国会議員がダンマリなのか?

何故、新潮45が休刊したのか?

これには事実関係の調査が必要なのは言うまでもない。

独断と偏見を伴った意見など何の価値も無い。

本来なら、国会議員は出る所に出てdebateに応じるべきだし、
新潮45も、誌上で肯定派と反対派の意見の双方を掲載して徹底的な議論をすべきなのに休刊?

何をやっている!!と言いたい。

言論人としてあるまじき行為かと。

少なくとも、リンクを貼った動画では、
当事者は堂々と出て来て、言論している点においては評価できる。

だが、ダンマリ国会議員と、危ないと思ったら即座に休刊する新潮の姿勢には嫌悪感を抱く。

また上から目線で喚き立てているだけのLGBT肯定派の姿勢にも嫌悪感を抱く。
(さらにコイツらの一部には脅迫をやっているのでは?との疑念を抱かざるを得ない)

どちらも言論を否定していると言う点において非常に罪深い。

終わり



余談:

リンクを貼った動画はかなり感情的なショウもないものではあるが、
それでも双方の主張を冷静に聞いていると、
それぞれの問題点が浮き彫りになってくる。

・LGBT問題は性の指向(嗜好)問題でもあるため議論すること自体おかしいと言う主張

・LGBT問題に予算はほとんど使われていないと言う主張

・差別されていると言う主張

等々、事実を確認しながら双方の主張を聴きdebateして行くことこそが価値ある行動であると私は思っている。

「喚き」にはもううんざりしている。



余談2:

動画において、自らをゲイだとする教授の意見には悪い意味で驚かざるを得ない。

結婚した(ノーマルな)夫婦と子供が外に出歩くことは、
自らの性的ノーマルさを主張している事だと気付いていないなどと言う言動には、
正直、気味の悪さを感じてしまう。

そんな事を思って出歩いている親子など先ずいない。

ごくごく自然に子供との活動を楽しむために出掛ける訳であって、
そこに何らかの(自分は性的にノーマルであるとの)主義主張などあるはずも無いのだが、
どうもそうは考えない人がいると言う点において非常に不気味だ。

私自身は性的マイノリティの権利は法的にも認めて行くのが時代の流れであると思っているが、
こういう主張を聴いてしまうと、
その種の人種は気味が悪いのでは?と誤解とは分かっていても誤解してしまいそうになる。

言論とは、言動とは、非常に恐ろしいものでもある、と。