戦争と平和について思うこと

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池上彰氏のテレビ番組で非常に興味深いことをやっていました。

それは現在世界に強い影響力を持つ国の指導者3人を比較して精査してみた番組でした。

アメリカ トランプ大統領

・中国 習近平国家主席

・ロシア プーチン大統領

この3人です。

そして今、8月。

8月6日 アメリカによる広島への原爆投下

8月9日 アメリカによる長崎への原爆投下

8月15日 終戦記念日

毎年8月になると日本は第二次世界大戦への反省を繰り返しています。

しかし私はいつの頃からか、
これらの日について、大抵の日本人が願っているような「想い」について、
心の奥底では冷笑するようになっています。

保守派が思っている感覚にも、リベラル派が思っている感覚にも、です。

何故そのように私が思うようになったのか、理由は明白です。

池上彰氏の番組をきちんと見れば明らかにされています。

「日本国においては保守もリベラルも一方通行の思考しか出来ない」

この一点に尽きます。

保守はアメリカ様一辺倒の腐れた思考しか出来ない情けなさ。

リベラルは自分さえ平和を祈っていれば平和は実現できると思い込んでいる超傲慢さ。

戦争するには相手が要る。

その相手がどう出て来るのか???

相手の事を全く考えないで、
ひたすらアメリカに媚びへつらっていれば大丈夫と考える豚保守派。

相手の事を全く考えないで、
ひたすら平和念仏を唱えるだけの豚リベラル派。

池上彰氏は、前述の3国には全部顕著な特徴があると言っていました。

「自国ファースト」です。

アメリカは「偉大なアメリカに再びする」をスローガンに。

中国は「明の時代(漢民族政権全盛期)に」を密かに掲げて。

ロシアは「大ロシアよ再び」をスローガンに。

これらの国は強大で、しかも現実に様々な小国と紛争を繰り返し、
支配をしています。

時に虐殺もしています。

しかし、日本では8月になると相も変わらず「不戦の誓い」だとか、
日米安保」だとか、「繰り返しません過ちは」だとか。

何でこうも相手のある問題について相手を徹底的に無視できるのか不思議で仕方ありません。

歴史が大切だと主張しながらも、
その歴史から都合の悪い事は全く無視している連中。

それに気付きもしない無邪気さ。

ちなみに私の政治的ポジションは流動的ではありますが、
新右翼に対して共感することが現時点では非常に多い立場です。

それ故、保守に対しては一定の理解を示しながらも唾棄し、
リベラルに対しても一定の理解を示しながらも唾棄すると言う厳しい立場にある者です。

今年もまた暑い8月真っ只中にいます。