北朝鮮の核ミサイル問題とインパール作戦について

北朝鮮の核ミサイル問題とインパール作戦について」

日曜日、寄席で1日中落語を聴いていた時、
仲入り(寄席の休憩時間)にスマホをチェックしたら号外ニュースが届いていた。

北朝鮮ICBM(大陸間弾道弾)用の水爆実験に成功した、と。

また、ちょうど金曜日の夜に録画してあったNHKの「戦慄の記録 インパール」を見た後だったので、
何とも複雑で嫌な感覚になり、それを書いてみたいと思う。

当記事における主旨は2つ。

一貫して「偽りの怒りに憑かれてはならない」「日本人は決定的な場面で論理よりも情を優先する」という致命的な問題になる。

先ず、「偽りの怒り」とは、自分自身、親、子、兄弟、恋人、配偶者、祖父母、親友など近い関係の身の上に起こった不幸以外の全てのものに感じる怒りを指す。

別の言い方をすると、
人間が抱ける「真実の怒り」とは自分および極めて近い人の直接的な不幸にしか抱けない、と言う当たり前の事実になる。

人間、何が一番悲しいのか、何に一番腹を立てるのか。

間違いなく自分もしくは身近な人間の不幸であり、身近な人間との諍いである。

極端な話、普通の日本人(外国に身内や親しい友達がいないのが前提)であるのなら、
遠いアフリカやヨーロッパで起こった悲惨な事件に対し、
本来、涙など流せる訳はない、と言う当たり前の理屈になる。

もし、私はそんな事はない、と言い切る人がいたら、
それはかなりおかしい人と見做していい。

1年365日、24時間、ずっと泣いて過ごしてもまだ足りなくなるからだ。

日常生活の遂行すらままならないだろう。

惨いようだが、人は遠い所にいる他人の不幸には無頓着になるし、
また、無頓着でなくてはいけない。

だからと言って無視していいとは絶対に言わない。

これについては後述する。

では、この考えを大前提にして話を進めて行きたい。

NHKの「戦慄の記録 インパール」の放送はかなりの大反響を呼んだらしい。

個人的にはとても良い番組だと思った。

旧日本軍がどのようにインパール作戦を遂行したのか、
その経過と結果が実写フィルムまで伴った形で放映されていた。

ほとんどの良心的な日本人は、
ここで途轍もない激しい怒りを感じるはずだ。

こんなどうしようもない上層部の連中が、悲惨な作戦をやりやがって、と。

だが、勘違いしてはいけない。

貴方の抱いている激しい怒りは間違いなく「偽りの怒り」である。

何故なら、これはもう73年も前に起こった、
今を生きるほとんどの日本人にはまるで関係のない「歴史」だからだ。

もちろん私が言いたいのはこの歴史的事件を無視しろ、などと言うことではない。

むしろ冷静に緻密に分析せよ、となる。

そして「現代に活かせ」となる。

もう自分とは直接関係の無い歴史的な事件に激しい怒りを抱く行為は、
はっきり言って百害あって一利なしとなる。

偽りの怒りを放置しておくと、
関係のない第三者がその思想を背景にどんどんと介入をして、
当事者を置き去りにして怒りだけが先行する愚を見せるのは常のこと。

某国と日本の間に解決が出来ないように思われる歴史的問題がある。

それも偽りの怒りだ。

偽りの怒りには冷静に、そして断固たる対処をしなけれならない。

そもそも「偽りの怒り」は「偽り」である以上、壊滅させなくてはならない。

必要なのは冷静さと論理的思考のみ。

歴史に感情を移入するのは許されない。

せいぜい歴史小説を読んでいる時だけくらいだろう。

注意深く観察すると、偽りの怒りに憑かれた者達は、
ほぼ例外なく「政治的信条」「宗教」のような、
いわゆる洗脳をされている状態だと言っていい。

このような者達は、時に集団ヒステリーを起こして、
平気で殺人やテロ、戦争まで巻き起こすから要注意だ。

特定の政治団体や宗教団体を見れば明らかだろう。

さて、これに対して「真実の怒り」は全く違う。

早急に的確な手を打たないと致命傷を負わせられてしまう。

そこを絶対に間違えてはならない。

例えば、自分や自分の親、子、配偶者などが暴力を受けた場合、
即座に対応しなければ致命傷を負わせられるため、
激しい怒りを感じるのは当たり前。

だが、ここを間違える日本人は非常に多い。

思想に憑かれた者達。

あるいは知らず知らずに受けている洗脳。

思想や洗脳は真実の怒りと偽りの怒りを混同させてしまう。

ここで冷徹な事実を挙げておきたい。

リベラル派に属する人達はほぼ全員間違いなく、
NHKのインパール作戦を目の当たりにして大変不快な思いを抱いたはずだ。

戦争なんて愚かだ、命はとても大切なんだ、だから不戦の誓いを、と。

そしてインパール作戦の責任者達に対して侮蔑と激しい怒りを向ける。

こんな人間達はどうしようもない、と「偽りの怒り」を。

そうして絶対に気付くことが出来ないでいる、ある決定的な思考回路をしてくる。

インパール作戦の責任者達と、北朝鮮の核問題で安全を主張する者達は全く同じ思考回路を持った無責任者である」ことに。

当時、インパール作戦に関わった軍の上層部の者達と、
現在、北朝鮮が盛んに行なっているミサイル発射と核実験について「戦争にはなりません」だとか、
「ミサイルが飛来しても何も出来ない」などと、
テレビで発言している者達の思考回路は全く同じである。

彼らの頭の中にあるのは結論ありき。

その妄想とも言える結論に、自分にとって都合の良い屁理屈を沢山付け足して強弁しているだけだ。

そこに真実は無い。

インパール作戦の思考回路と結末」

インパールを落とすことは重要である。だから作戦を決行すべきである

・補給が追い付かない。作戦的に無理があるとの意見

・そんな弱気でどうする。大和魂

・反対者達を追放

・作戦決行。大敗北。死者多数

・作戦の最高責任者、さっさと逃亡。戦後長く生きる。グダグダ言い訳に終始



北朝鮮の核ミサイル問題とリベラル派の図式」

・日本には平和憲法があり、これからもずっと平和なんです。戦争は絶対にしません

北朝鮮が日本は敵だ、真っ先に火の海にしてやると明言

・無視

・ミサイルを沢山発射

・無視もしくは北朝鮮は本気で戦争をする気なんて無いんですよ♪♪と無邪気に主張を続ける

・Jアラート作動

・あんなの意味はない。ミサイル防衛は不可能と主張(軍事技術的根拠を完全無視)

北朝鮮ICBM(大陸間弾道弾)用の水爆実験成功

・だんまり、もしくは日本政府とアメリカ政府が悪いと言い出す始末

仮定「近い将来、ミサイルが着弾。数千人の死者が出る」

仮定「リベラル派、だんまり。もしくは将来に渡ってクドクド言い訳に終始」

2つの思考回路を是非比較して頂きたい。

大日本帝国時代の無責任思考と全く同じものが、
今でも日本人の血にはリベラル派の思考として脈々と受け継がれ流れていることを思い知るべきだ。

いや、むしろ、戦時下と言う緊急事態における当時の責任者達よりも、
現代の平和で自由にものが言える状況にあって、北朝鮮の核ミサイル問題について、
「戦争になる訳はない」とか「外交的努力こそ」とか「Jアラートは意味がない」「ミサイル防衛は意味がない」などとほざいている人間の方が遥かに遥かにあの中将よりも悪質に見えてしまう。

偽善者だからだ。

少なくとも、あの時代は戦争中であったのだ。

作戦時の味方の死について嫌な言い方もしていたし、
人格的にもおかしいと思う。

が、間違いなく当時は平時では無かった。

現代の平和な時代の価値基準で73年前の戦争(作戦行動)の歴史を裁くのは許されない。
(しかし冷徹な分析をしなくてはならないのは言うまでもない)

もちろんインパール作戦そのものを正しかったと強弁する保守派も悪質なのは言うまでもない。

だが「現在の、今を生きる人達の命を軽視する行為」を平和に名を借りて主張するリベラル派の罪は大きい。

彼らは、平和と人権と命の大切さをしつこく説きながらも、
他ならぬ日本人の多数の命の大切さを全く無視している。

ミサイルの先制攻撃を受けるとは、大勢の日本人が殺されることを意味している。

飛来して来たミサイルは言葉では守れない。

唯一効果があるのは迎撃ミサイルだけだ。

だが、それを意味が無いと、勝手な妄想の中で激しく主張する。

迎撃ミサイルについて正確に語れるのは軍事の専門家しかいない。

それ以外の者が語る軍事の内容は「素人の適当な戯言」である。

そんなものに惑わされてはならない。

そしてそんなものが今、如何に多いか。

ゼロ・100思考。

つまり気に入らないものは全面否定。

気に入ったものは100%受け入れる。

最初に結論があって、都合の良い意見だけを取り入れて、
さも専門家のご立派な説であるとテレビやネットで垂れ流している連中。

ともかく。

インパール作戦の指導者と全く同じだ。

仮に迎撃率が30%だったとしても、
意味が無い、と言い切る者達は、人命を軽視しているインパール作戦の指導者達と何ら変わらない。

私達日本人は保守リベラルを問わず、論理よりも情を重視してしまう。

これは今を生きる者にとって、時に致命傷となる。

偽りの怒りに対処するより、即座に真実の怒りに対処を。

それは今を生きる私達に直接ダメージを与えるものなのだから。

終わり