田舎料理と都会人

私が生まれ育ったのは東京の西麻布だった。

従って幼い頃から目にしていた光景は林立するビルやアスファルトやコンクリートに囲まれた街並みだ。

まだまだ当時は緑が多かった麻布の街ではあったが、
それでも目を閉じると浮かぶ原風景は乱立するビルの間を抜けてゆく首都高速の高架だ。

私の父は南麻布の生まれ育ちでそのまた父は千代田区平河町の生まれでそのまた父もその近辺の生まれ育ちだったらしい。

つまり私の父方は東京のスーパー都心部で代々暮らしていたことになる。

反面、私の母は東北地方の某県の農家出身だ。

その昔、私達一家が外食をする場合は、
当時日本では出来たばかりであろう西麻布のフレンチレストランだったり、
六本木のステーキ屋だったり、あるいはイタリアンの先駆的なピザ屋だったりした。

私の母が作る料理もコロッケだったりパスタだったりと当時の最先端だった洋食が多かったように記憶している。

だが。

時折、全く違う料理が出ることがあった。

それらは子供にとっても大変意表を突かれたものであり、
とてもとても美味しく感じた。

しかし何となく友達に言ってはいけない気もしていた。

恥ずかしいかも、と。

ある時、友達が家に遊びに来た。

そのうちに外に出たのだが、母がおやつを持たせてくれた。

それは時折食べさせてもらえたとても美味しいモノだった。

けれども私は一緒にいた友達には恥ずかしいのであげないでいた。

非常に興味深そうに私の持っていたおやつを眺めていた友達。

試しに「食べる?」と言ってみた。

「うん!!」と大きく頷き、嬉しそうにガツガツと食べ始めた友達。

「凄く美味しいっ!!」と彼は感嘆の声を上げた。

それから時が経過して私はいつの間にか大人になっていた。

時代は未曽有の好景気に浮かれていて、
街を歩けば美酒と美食が溢れていた。

仕事の接待で口にするシャトーマルゴーとフレンチ。

あるいは老酒と中華。

ブランド物に身を固めて踊りまくり狂乱に身をゆだねる同世代の女性達。

どこか私は空虚な気持ちでいた。

都心で生まれ育った私ではあったが、
何故か大好きな事は「天体観測」と「釣り」だった。

誰もいない山の頂上で見る降るような星空。

誰もいない山の中の渓流で竿を出し獲物を狙っている時。

こういう時間をことのほか好んでいた。

その価値観は今に至るもまるで変わってなどいない。

そんなある時、ある人に誘われて旅に出ることになった。

その人はいわゆる田舎者だ。

その人の軽自動車に乗り、釣り具を満載して福島県新潟県の県境にある山の中を目指して行った。

誰もいない渓流。

私は毛鉤を投射して岩魚と山女魚を釣り上げた。

無上の喜び。

そうして釣りが終わり、その人と宿に向かって行った。

そこは日本昔話に出て来るような桃源郷にぽつりと建っていた古民家だった。

その存在感にも圧倒されたが最も驚いたのは振る舞われた料理だった。

おそらくは近くの山で採って来たばかりの山菜を天ぷらにしていた。

おそらくは近くの川で獲ったであろう川魚を塩焼きにしていた。

これは一体何なのか!?と思った。

そして遠い昔に母に持たされたおやつを思い出した。

代官山のレストランで味わったフレンチも色褪せて見えてしまう。

パリの星付きレストランで味わった美酒すらも色褪せて見えてしまう。

全ての都市的な価値観を遥かに遥かに凌駕している存在。

これが田舎料理なのか!!と思った。

終わり