「ブータン しあわせに生きるためのヒント」上野の森美術館

ブータン しあわせに生きるためのヒント」上野の森美術館

2016年5月21日(土)

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人口697,000人のアジアの小国。

しかし国民総幸福量と言う新しい統計によると当初は幸福だと答える人が非常に
多く注目された国だ。

また国王が日本の国会で演説した内容は伝説になるほどの大感動を呼んだ。
↓参考動画↓
https://youtu.be/-h5CzvtJky8

民族服を堂々と着て日本の皇室と親交を深めていたのも印象に残っている。

果たしてブータンの実態はどうなのか?

人間の幸福を考える以上、それは学術的に正しくなくては意味が全くなくなってしまう。

先ずはブータンとは関係ないが、以下の動画をご覧頂きたい。

これは世界中で見られている動画らしく、
日本語版だけでも150万人以上が見ている超人気のあるものだ。

ちなみに「いいね」が4800人超で「ダメ」が900人強。

この動画を見た人のほとんどは良いと思っていると見做していいだろう。


この動画の内容を要約すると、
早い話、金持ちの生活はダメで貧しい人々の生活の方が素晴らしい、となる。

この動画を見てダメだと明確な意思表示をしている900人強の人達は、
人間の幸福について学術的に正しく理解していると言える。

この動画内容は完全に間違っているからだ。

と言うよりも意図的に悪意のある混同をさせて巧みに視聴者を騙している。

当ブログでは何度も何度も書いているが、
人間が幸せになるためには3つの動機を満たさなくてはならないと言う心理学的な鉄則がある。

これは1つの学説ではあるが、人間の幸せには3つあり、
それら1つが欠けても1つが突出していても幸福にはなれないという恐いものでもある。

私がこの手法を知ってから10年くらいが経過しているが、
自分や他人の人生の幸福度を測る時に大きな威力を発揮してくれる。

その人間が幸福なのか不幸なのか?

それを驚くほど正確に教えてくれる。

その3つとは。

・パワー動機(競争に勝った時に得られる幸福感。例:徒競走で1等賞になる。大金持ちになる。昇進する、など)

・達成動機(自分のやりたい明確な目標を達成した時に得られる幸福感。例:絵画を描く。作曲する。演奏するなど、芸術家に多いタイプ)

・親和動機(人と仲良くした時に得られる幸福感。例:夫婦円満。友達と楽しく語らう、など)

非常に単純な分け方だが人間の幸福のほとんどを説明出来てしまう点が優れていると思う。

この考え方をしっかりと持っていれば最初の動画の悪質性に直ぐに気付くはずだ。

何故なら、この動画はパワー動機を否定した挙句に人間の幸福を親和動機のみで片づけようとしている点にある。

こういった方法は至るところでよく見掛ける間違っている上に非常に悪質なものだ。

典型的なセリフは「いくらお金があったって」「いくら高学歴でも」「いくらいい会社に勤めていたって」等々。

よく耳にするセリフかと。

お金、高学歴、いい会社、社会的地位、プロスポーツの勝敗等々に感じる心理は全てパワー動機に属するものだ。

1つ確実に言える事は、パワー動機が満たせていない者は決して幸せにはなれない。

勝った時に得られる喜びとは、他の2つの達成動機や親和動機では埋めることができないからだ。

いくら趣味に興じていても、いくら他人と仲良くしていても、
金が無く、学歴も無く、職も無く、地位も無い、勝てない、負けだけの人生であるのなら、
幸福とは無縁の人生を送ることになるのだけは間違いない。

金持ちや権力者はこの点を十分に理解しているため、
貧しい人達同士で足の引っ張り合いをやらせる手法をよく使用してくる。

それが上記のビデオという訳だ。

この動画は貧しい人同士の足の引っ張り合いにも大変都合がいい。

オマエ達はそれほど不幸じゃないと言っている訳だ。

けれども「この動画は間違っていない」と力説する純粋な人も多いと思うのでここで徹底的に間違いを指摘したいと思う。

それは非常に明確だ。

金持ち親子はその後どうしたのか?が一切書かれていない点にご注目を。

この金持ちの親子は携帯電話をその後の人生で捨てたのだろうか?

隣近所との境界を取り去って皆で楽しいコミュニケーションをするために行き来を自由にしたのだろうか?

金を捨てて粗末な家に暮らして自然を感じる生活をしているのだろうか?

正解は言わずと知れている。

Noだ。

そもそも人間の幸福を考える上でパワー動機を軽視するのは許されない。

向上心を持ち、勝ちたいと願うのは人間の当たり前の資質と言える。

もちろん勝ち負けに拘った場合、負けることも多い。

従ってパワー動機はどのようにコントロールするのか?という視点も非常に重要になってくる。

ブータン しあわせに生きるためのヒント」・・・・・

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このような展示会に行く場合、上記の3原則をしっかりと理解してから行かないと、
非常に危険なプロパガンダに騙されてしまうハメになるから要注意だと思う。

それは旧東側の共産圏でもよくやっていた手口だから心してかからねばならない。

地上の楽園だ、などとほざくような国家は極めて危険だと思って間違いない。

さて、ブータン展。

この国は基本的に貧しい。

日本からもかなりの援助をしているようだ。

人々のとても質素な生活が紹介されていた。

ここで感心するのはかつての共産圏のように作られた感じがしない点にあった。

国民へのインタビューがあるが特に無理に言わされているようには感じなかった。

むしろ貧しいブータンの生活ぶりをビデオで紹介していた。

しかし、そこに映っていたのは紛れもない「しあわせに生きるためのヒント」であった。

バブル時代以降、私達日本人の精神と本能はねじれにねじれた挙句、腐ってしまっている。

それは3高(高学歴、高収入、高身長)、アッシー、メッシーなどと男性を徹底的に差別化し、
結婚を軽んじ、出産を軽んじ、遊びまくっていた若い日本女性が考えていた究極の到達点、
「ダブルインカムノーキッズ」である。

お金が沢山あって、遊び呆けていれば人間は幸せになれると本気で思い込んでいた時代。

バブル時代から随分と時間は経過しているが、未だに日本はその時の腐れから立ち直っていない。

少子高齢化は全く解決されてなどいないからだ。

ブータン展で見せつけられたのは子供と宗教と言う2つに絞られていたように感じた。

その2つとも今の日本ではほぼ失われているものだ。

私達日本人は子供を失い、敬虔な宗教心も失っている。

その結果、冷たい人間関係が急速に進んでいる。

会話を失う夫婦や親子。

これは都市化と密接に連動していると思っている。

1800年代後半から1900年代初頭のパリで最初にそれは起こった。

パリの街を大改造して暮らし易く効率的な街を作った。

だが結果的に当時のパリでは冷たい人間関係を多く輩出させてしまった。

参考までに、ギュスターブ・カイユボットの作品を。

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これこそが当時のパリと現代の東京を結び付ける感覚であるかと思う。

冷たい人間関係。

だがブータンは違う。

人間に生まれた以上、逆らえない宿命があると思う。

日本人の多くはその宿命に逆らってしまった。

彼らブータン人は決して宿命に逆らわないように感じた。

ブータンは小国とはいえ大勢の人達が暮らす国である以上、
色々な人がいて事件だってそれなりに発生しているはずだ。

安易な理想化は危険ではある。

しかしおおよそ健全であるように思えてしまった。

もちろんこれは展示会を通じての感想だから、
個々のブータン人の友達がいての経験的な意見ではない。

間違いは多々あるだろう。

とはいえ今の日本は問題だらけであり、
下手をすると国の存在そのものが危うくなってしまっている。

少子高齢化とは極めて恐ろしい亡国への過程なのだと思い知るべきだ。

今の日本人の弱点中の弱点でもあるが故に極めて衝撃的でもあった。

そんな事を考えさせられた展示会だった。

終わり

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