ストーカー事件についての重大な誤解

芸能活動をしていた女子大生がストーカーの男に刺されて意識不明の重体になっている事件について、
おおよその経過が判明してきたので改めて記事にしたいと思う。

最初に書いておきたいのは、
私達はストーカー事件や殺人事件、暴力事件というもの対して重大な誤解をしているという点にある。

それは大きく分けて5つある。

・ストーカー事件に対する無知

・SNSに対する無知

・刃物に対する無知

・警察に対する無知

・女や子供に対する無知

これら5つには、ある極めて特徴的な考えが私達の根底にあり、
それが事件をより悪化させていると思って間違いない。

それは一言で言えば戦後民主主義的な考えと言える。

現代の日本に暮らす者のほとんどは間違いなく戦後民主主義的な考えをしてくる。

それは「右」だろうが「左」だろうが同じだ。

「みんな仲良く話せば分かる」

「人間は平等」

「誰かが最後はきっと守ってくれるはず」

この3つに集約される。

この考えはこと犯罪という点に関して言えば完璧な間違いである。

話し合っても分からないし、仲良くも出来ないし、平等でもない、誰も守ってもくれない。

大抵の場合、他の人がいない場所で一方的に攻撃されるだけだ。

それがほとんどの犯罪の実態と言える。

その時、どのように対応すべきなのかが最大の問題なのである。

そこを全く考えないのが戦後民主主義にどっぷり浸かった人達と言える。

自分だけは大丈夫という思い込みは被害者になった途端、恐怖のどん底に叩き落される。

では、先ほどの5つの結論を順番に簡単に最初に述べておきたい。

・ストーカー事件は非常に危険で殺人に発展し易い

・SNSこそが今や事件の中心になっている

・至近距離からの刃物による攻撃は防ぎようがない

・警察の仕事とは99.99%が犯人捜査(事件は防げない)

・女や子供は大人の男からの攻撃に対しては全く無力

ではこれら5つを中心にして問題解決のための解説をして行きたい。

事件後、やはりというか、専門家が警察の対応の甘さを指摘して責任を追及していた。

思わずまたかと思ってしまった。

確かに警察の対応は非常に甘い部分があり、
それは早急に改善されなくてはいけない。

しかし絶対に勘違いしてはならない。

警察の仕事とは発生した事件に対して犯人を捜すのがそのほとんどの業務であって、
一般民間人の殺人事件を未然に防ぐための活動はほとんど出来ないし、
そもそも殺人事件の本質をキチンと精査すればそれは無理なのだと思わざるを得ない。

冷徹な事実を挙げておきたい。

私達日本人には非常にマヌケな思い込みがある。

テレビドラマなどでもあるように、
全ての殺人事件とは事件発生の時に大声や怒号が上がってしばらくの間殺し合いが続くと勘違いしている。

つまり酒場の喧嘩や夫婦喧嘩の延長線上にあると思い込んでいる。

だが現実のストーカー殺人事件や最初から殺そうと思って起こる殺人事件は全く違う。

本当に殺そうと思った相手が刃物を持って襲い掛かって来る時。

音も無く忍び寄り、一気に刺してくる。

そこにドラマ性などは一切ない。

オウム真理教の幹部が公衆の面前で刺された時の映像を覚えているだろか?

あれが殺そうと思って接近してくる殺人者の真の姿だ。

声も上げず、ただひたすら機会を待ち、
チャンスが来たら、至近距離に接近して・・・一気に刺す。

刺された方は反撃どころか瞬間的に全身の力が抜け、そのまま絶命する。

武道の有段者はここで間違えてしまう。

あるいは武装主義者もここで間違える。

自分ならば反撃できる、と。

武道の力や武器の力さえあれば犯人を撃退できるはず、と。

無理だ。

かつて無敵と言われたプロレスラー力道山も刃物の一撃で殺されている。

当ブログにもかつて武装主義者の方から意見を頂いたことがある。

「警察が市民の命を守れる訳はない。治安も悪化している。だから私は武装する」と。

警察が市民の命を守れないのはそもそも当たり前の話だ。

事件の捜査が警察の仕事のほとんどだからだ。

しかし治安は悪化していない。

むしろ日本の有史上一番安全な時代に突入している。

そして武装は全く意味がない。

何故なら。

刃物を持った攻撃者に一旦至近距離に入られた場合。

「0.2秒で人体に到達する」からだ。

110番通報すれば、確かに警察官は非常に早く駆けつけてくれる。

今回は手違いがあったがそれでも「7分後」には現場に到着していたという。

これが手違いが仮になく「3分後」だったら間に合っていたのだろうか?

0.2秒。

無理なのである。

如何なる武道の達人でも至近距離からの刃物攻撃の前には無力だ。

まして被害者は女性。

ここには戦後民主主義者にとっては絶対に見たくない、想像したくもない冷酷な現実がある。

女や子供は大人の男の攻撃からは絶対に身を守る術はない、と。

つまり、明らかな殺意をもった武装した者に接近を許したら最後、
もうそれはアウトなのだ、と思い知るべきだ。

そして今回はストーカー事件。

実はこのストーカー事件はつい最近まで事件として扱われていなかったと言う恐ろしい事実がある。

そもそもストーカー規制法ができたのはつい最近のことで、
桶川ストーカー殺人事件が発生して、そのあまりの酷い手口とマスコミの無知により、
殺された被害者やその家族までもが徹底的に攻撃されると言う異常事態が起こったからだ。

真相は非常に深刻であり、ようやく事実が一般人にも認識されて、
ストーカー規制法ができた経緯がある。

つまり、それまではストーカー事件という存在そのものが無かったのである。

全て「男女関係のもつれ」などという簡単な言葉で済ませられてしまい、
被害者は泣き寝入りというのがその実態だった。

従って新しい事件であるから今でもストーカーに対して重大な誤解をしている人は警察官にすら多い。

警察ですらも適切な対応が取れない場合も十分に起こり得ると被害者は認識しておくべきだろう。

正式な脅威査定すら知らない警察官も多い。

ストーカー事件に巻き込まれていると判断したら、
即座にやらなくてはいけないのが「脅威査定」だ。

勝手な思い込みではなく、正式に用意された専門のシートに書き込んで自分の危険度を客観的に知る必要がある。

それが出来ない以上、問題解決からは程遠い。

ストーカー事件は想像以上に危険だ。

しかも超長期化する可能性もかなりある。

最初に書いた通り、殺人事件に発展する可能性もかなり高い。

何故なら誰もがストーカーになりうる訳ではなく、
一部の異常者によって巻き起こされるからだ。

粘着型の異常者に執拗に追われた場合、
問題解決は非常に困難になってしまう。

もう1つの問題はSNSが絡んでいる点だ。

これまたここ数年で急速に浸透した新しいネット系のツールなので、
当然SNSに全く対応できない警察官は非常に多いと言える。

現場で個別に対応するのは1人1人の警察官なので、
今回の事件のようにストーカーとSNSの両方に不慣れな人が担当になった場合、
事件の危険性を最悪なまでに高めてしまう。

「まだメールだけだから大丈夫」「貴方にも問題はある」「SNSなんかやっているから悪い」

このような扱いを受けてしまう可能性が非常に高くなる。

実のところ被害者が男だったら警察の対応はほぼ間違いなく上記のようになるはずだ。

しかし今回の被害者は若い女性だったので、
警察は良く対応した方だと思う。
(重大なミスはあったにせよ)

それは一応事件を認識して被害者からの連絡があった場合、
直ぐに駆けつけることが出来るようにしていた点にある。

では、ここから一番重要な事件への対処法となる。

「ストーカーの被害を受けていると感じたら」

先ずはこれが一番重要な点となる。

被害者によって問題の認識が全然違って来るからだ。

当ブログにおいてかなり昔から主張している手法がここでも決定的に重要になってくる。

それは毛利元貞氏が日本の警察の指導にも用いている最新型の防犯技術となる。

「直感重視」&「違和感を検知せよ」

例えば初対面の人に会った時。

最初の10秒、もっというと最初の数秒が一番大切になる。

その時、どのような印象を持つのか、全体的な雰囲気から判断する。

表情、服装、仕草、挨拶などを総合した一瞬の感覚。

これこそが決定的に重要でその後の関係に極めて大きな影響を及ぼしてくる。

ベテランの腕利きの警察官は職務質問の際、まさしくこの手法を活用してくる。

何だか分からないけど「違和感」を感じたら最大限の注意をする必要がある。

その違和感は時間の経過と共に目に見える形で悪化してくることがほとんどだからだ。

「違和感を感じた相手とは距離をとる」

これは事件だけでなく仕事やプライベートのSNSまであらゆる人間関係に応用できる非常に優れた手法だ。

常日頃から「直感を重視して違和感の検知」。

これがストーカー事件の解決への第一歩となる。

直感を研ぎ澄ませて異常を感知したら、
直ぐに脅威査定をする。

自分の精神状態が健康であるにも関わらず異常を感知した以上、
実はもう既に想像以上に危険になっていると判断して間違いはない。

即座に警察に行くか相談窓口に電話をすべきだ。

仮に警察で脅威査定をしてくれなくても問題はない。
(できたら直ぐに動いてくれる方がいいのは言うもでもないが)

自分の置かれている状況、住所、携帯の番号などを警察に知らせて、
「記録として残してもらう」のが最初の非常に重要な作業となる。

それが今後の事件の推移に大きな影響を及ぼしてくる。

迷わず警察に相談して記録してもらっておくこと。

その点において今回の事件の被害者の行動は正しい。

問題はその後にある。

残念ながら警察はSNSの書き込みなどをチェックしなかったようだ。

SNS非対応型の人に運悪く当たってしまったと考えられる。

被害者は女性で既に警察に相談するほど危険も認識していた以上、
警察の対応を嘆く前にする事があった。

それは自分の生活を防御中心のものに変更する必要があったと言える。

芸能活動と言う自分の夢や職業を大切に考える人は非常に多い。

だがストーカーに明らかに狙われていたら「同じ生活ができると思ったら大間違い」となる。

そこから先はストーカーとの戦いになる。

まさに殺されるか殺すか。

自分が非力な女性だった場合、あるいは男であっても、
ストーカー事件を自分だけで解決できると思ったら大間違いだし、
まして犯人との話し合いも意味は全くない。

先ずは周囲の親や兄弟、親しい友達に事実を知らせ、
守ってもらう生活体制を直ぐに構築する必要がある。

外出する際は最大限の注意をし、1人きりになる時間を作ってはならない。

戦後民主主義に侵されている人達の非常に厄介な思考の1つにこんなのがある。

「私は悪くない。悪いのは相手。だから私は今まで通りにする」

この考えは事件を最悪化させてしまう。

相手が殺意(あるいは暴力)を持って接近してくる以上、
今まで通りの生活をしていたらそれこそヤられるだけだ。

仕事や夢が自分の命よりも大切だと考えているのなら致し方ない。

しかし大抵の場合はこう考えているはずだ。

「まさか殺しまではしないでしょう?」と。

テレビで発表されたSNSの書き込みを見る限りにおいて。

既に危険水位を遥かに超えていたと私的には感じている。

警察の事前介入は今の法制度ではかなり難しい。

介入させるにはそれなりの証拠が必要になってくる。

私には1つの信条と言うか対処法があるのでご紹介したい。

・窃盗事件に対処するには自分が窃盗犯の心を持つ必要がある

・殺人事件に対処するには自分が殺人犯の心を持つ必要がある

・ストーカー事件に対処するには自分がストーカーの心を持つ必要がある

つまりストーカーに狙われた場合、自分もストーカー化しない限り、
絶対に相手には勝てないと言う恐い心理となる。

恐い物は見たくない。

避けたい。

だがこれは事件に関して言うと完璧な間違いで、
犯人を執拗に見詰め続ける必要がある。

相手の言動、行動パターンを詳細に分析して全て記録して行く。

友達の協力も得て、写真や動画で犯人を撮影する。

証拠が出そろったところで再度警察に行き事情を説明する。

その際、もちろん事前に地域でやっている安価な弁護士相談を受けておく必要があるのは言うまでもない。

確か8000円くらいで40~50分の法律相談を受けられる。

これは必須だ。

資金的に余裕があれば弁護士に同席してもらった方がいいのは言うまでもない。

また、もちろん余裕があればストーカー専門の信頼できる民間ボランティア団体の相談を受けるのも非常に有効だと思う。

しかし民間団体の場合、能力や金額に開きがあるため選定には注意が必要だ。

ストーカー事件の場合、最終的には殺人事件に発展する可能性を常に視野に入れておく必要がある。

分かり易く書いておこう。

つまり。

既に。

「殺すか殺されるか」

それが貴方の置かれている立場だ。

これは大袈裟でも何でもない。

ストーカー事件とはそういうものなのだと今一度認識する必要がある。

そして真の恐ろしさはもっと違う点にある。

それは犯人が逮捕されても決して解決しないと言う事実だ。

これまた戦後民主主義者は犯人が逮捕され有罪が確定すれば「改心する」と思い込んでいる。

事実はまるで違う。

どうか「大切な余談」までお読み頂ければ、と。

終わり



大切な余談:

仮に被害者が怪我もなく事前に運良く犯人を逮捕してもらったとする。

有罪が確定して刑務所に入ったとする。

これで問題が解決したと思ったら大間違いだ。

犯人の出所後の行動にこそ最大限の注意をする必要がある。

ストーカー事件の恐さとは実はその点にある。

裁判の結果とか刑務所とか全く関係がない。

犯人は決して諦めない。

実はこれは私の脅しでも何でもない。

私には身内に精神医療に関わっていた者がいるため精神科医の友達が多い。

ある非常に有名な精神科医が昔治療した患者に逆恨みされていた。

その患者は執拗に機会を待ち続けていたストーカーだったようだ。

20年後くらいに、ある日突然病院に現れて刃物で医師を切りつけた。

大変な重傷を負ってしまい新聞やテレビでも盛んに報道されていたので覚えている人も多いと思う。

その事件は犯人の有罪が確定して刑務所に入ったが、
いつ出所するのかを被害者にも教えるシステムは実はこの時に構築されたものだ。

それまでは加害者の出所を教えるシステムは無かった。

この私の身内の知り合いの精神科医の尽力により、
今では報復が予想される事件に対しては犯人の出所日を被害者に教えるようになっている。

ストーカー事件の真の解決とは相手が死なない限り無理なのである。

ストーカー先進国のアメリカではその事実を痛いほど知っていて映画にもなっている。

「愛がこわれるとき」という映画を観るのをお勧めする。



余談:

小さな子供が被害者になる事件が発生するとマスコミは大騒ぎをする。

連日報道をして視聴者は不安のどん底に叩き落されてしまう。

そして何とかしたいと思う人達が色々な事をやり出す。

例えば防犯講習。

小さな子供を集めて「いかのおすし」などと教える。

あるいは父母の有志が集まって防犯のための見回りなどをやる。

子供110番の家なども作ったりする。

無駄だ。

全て無駄だ。

意味が全くない。

防犯講習などは逆に受けさせたら親の方が安心してしまう危険性すらある。

防犯講習を受けたから大丈夫、と。

冗談ではない。

小さな子供とは自分で自分の身なんか守れないから子供なのである。

それを1人きりにさせていて何が「いかのおすし」だ!!と思う。

小さな子供には判断能力などある訳もない。

親が守ってやる以外に方法は全くない。

小さな子供は1人きりにさせてはいけない。

それこそが鉄則中の鉄則であり、
子供が防犯講習を受けてまるで魔法のように犯罪から身を守れるようになると思う方こそ危険極まりない。

親が子供を家に置いて見回りをしている暇があるなら、
そんな事は即座に拒絶して1分1秒でも子供と一緒の時間を作ってやるべきだ。

それこそが教育であり防犯の最善の道であるかと。