ヌードとの戦い

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日本においてはヌードには非常に大きな制約が存在している。

日本だけでなく諸外国には何らかの規制がある。

先進国と呼ばれる国々にももちろんある。

しかし、先進国においては、大人がそれを見たいと欲した場合、
その種の場所や方法で簡単に見ることは可能になっている。

日本の場合、平成時代をもってしても制約はかなり厳しい。

今はネット時代なので、少なくともプライベートな場所においては、
国境のないインターネットを使用していとも簡単に制約のないヌード画像や動画を入手することができる。

しかし日本では今でも表だってそれをすると違法行為になってしまう。

まして販売などしようものなら確実に逮捕されてしまう。

けれどもよくよく考えたら非常に不思議な事態であると思う。

ヌードとは誰でも1人1つは持っていて、
ごくごく当たり前のものだと言う事実がある。

何故それが厳しく規制されなくてはいけないのか?

人間の身体とはそれほど汚いものなのだろうか?

猥褻はダメと言う人もいる。

規制に賛成する人にとっては「けしからん」とか「性欲をいたずらに煽るな」と言う。

ところが猥褻な行為とは誰もが欲する事なのである。

決して特殊な人達だけが抱く妄想などではない。

性欲とは男も女も心身ともに健康なら誰だって抱く正常な欲求だ。

しかし性行為とは相手があって成り立つ厄介なものなので、
誰でもいつでも出来る事ではないのが事態を非常に難しくしているのも一面の真実だ。

それ故、ヌード作品は芸術であれポルノであれ、
とても大きな需要があるのは世界共通の暗黙の了解となっている。

先進国にも規制はもちろんあるが、
それはテレビだとか公衆の面前などの話となり、
プライベートで鑑賞する写真や動画に特に規制はない。

暴力表現や子供のそれは厳格に禁止されているが、
大人が大人のものを楽しむ分には普通に入手可能となっている。

さて、GWに「生誕150年 黒田清輝─日本近代絵画の巨匠」展を鑑賞しに東京国立博物館(上野)に行って来た。

その後、NHKの日曜美術館黒田清輝についてやっていたのでその番組も見た。

黒田清輝はフランスに留学し偉大なる画家となりヨーロッパでも認められた明治の偉人だ。

しかし日本国では徹底的にヌードとの戦いを強いられたことでも有名だ。

展示会作品に腰布をかけられたりとか、
官憲の介入が酷かった。

何故理解できないのか?と嘆く一生でもあったようだ。

この番組を見ていて大きな違和感を感じてしまった。

明治初期に誰もが慣れていないヌード作品に戸惑いを見せたのは分かる。

あからさまに反対していた新聞もある。

黒田清輝の時代においては仕方のなかった面もあったと感じる。

しかし現在。

黒田清輝の生誕から150年が経過しているのである。

未だに日本では「ろくでなし子」氏を逮捕したりとかの事件が存在している。

誰が一体何の権限でやっているのか?

ヌード作品はヘアが見えたらダメだとか恐ろしく下らない議論をやっていたのが昭和時代。

今は何とかヘアまでは大丈夫だがモロはダメとか何とか。

一体私達日本人は自分達の身体をよほど毛嫌いしたいと思っている?

挙句に性欲が無いなどとほざく若い男まで出現する始末になっている。

今の日本の性事情はかなりおかしくなっているのではあるまいか?

見たいものを見たいとは言えない社会。

見たいものを見てはダメと言う社会。

何よりも自分達の身体を、自分達の自尊心を低く抑えようとする社会。

病んでいるな、と思う。

150年前に生まれた黒田清輝が悩み続けたこと。

今でも立派に日本では生き残っている。

終わり