戦争についての重大な勘違いについて

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先日、今話題になっているマンガ「空母いぶき」を読んだのと、
テレビの林修先生の番組で統計を駆使して確率的に考えて行く手法を見て、
私達は戦争について重大な勘違いをしているのでは?と思ったので記事にしてみたいと思います。

この感覚はリベラル派、保守派双方に感じているものです。

当記事におきましては2つ取り上げます。

・戦争の始まりと具体的な戦闘行為(軍事作戦)についての勘違い

・徴兵制についての勘違い

先ず、戦争の始まりと戦闘行為についての勘違いから書いて行きます。

「空母いぶき」においては尖閣諸島での中国軍との戦争が描かれています。

尖閣諸島において、現在私達日本人がイメージしていることは、
リベラル派は、中国の単なる挑発行為で戦争になる訳がないと思い込んでいるか、
尖閣問題そのものを無視しているかのように見えてしまいます。

保守派は威勢のいいことを言って、
日米安全保障条約があるから大丈夫だとか、
自衛隊の装備は素晴らしいから絶対に勝てると言ったり、
あるいは防衛力の増強の重要さを訴えてきます。

「空母いぶき」において展開した中国側の軍事作戦は、
私的には極めて意表を突かれたものでした。

何となく私達日本人は、尖閣問題とは、仮に軍事衝突が起こるとしても、
尖閣「沖」に現れた中国側の数隻の公船と日本側の海上保安庁の船の間で、
発砲事件が起こり、それがこじれて尖閣「沖」で、
双方の軍艦や航空機が飛来してやや大きな戦争になる、と。

つまり、小競り合いから発展してあくまでもそれは「海上」で起こるのだ、と。

そう思い込んでいる日本人がほとんどだったのではないでしょうか?

少なくとも私はそうでした。

しかし「空母いぶき」に描かれている尖閣諸島での軍事衝突は、
中国側の明確な戦略に基づいた軍事作戦行動でした。

尖閣諸島を奪うとは、単純に島にやって来てゲリラ的に旗を立てても当然ダメなのです。

先ずは日本側から制空権を奪い、人質まで取ってから本格的に開始しました。

それは人が住んでいる沖縄の島への中国軍の侵攻作戦でした。

沖縄の小さな島に落下傘部隊が降下し、
島民を人質にします。

さらに、島にあるレーダーサイトを攻撃して爆破。

自衛隊の活動を大きく制限させてしまいます。

そうして自衛隊の基地を囲み、僅かな自衛隊員を投降させて捕虜にします。

日本側は当然抗議しますが中国側はのらりくらりとかわします。

頃合いを見計らって堂々と尖閣の領有を認めよと迫ってきます。

歴史の戦争をここで改めて見つめ直してみると、
小競り合いから大きな戦争にいきなり発展した例は私的にはほとんど知りません。

小競り合いに見えるようでも実は既にそれは小競り合いではなかったと言う事実です。

奇襲作戦についても同様です。

例えば、私達は歴史でドイツ軍は突然ポーランドに侵攻をして第二次世界大戦が始まった、と習います。

戦後70年、軍事については思考停止状態にある私達日本人は、
何となく戦争とは、ちょこちょことした小競り合いか、突然の奇襲で始まると思い込んでいるように感じています。

真珠湾攻撃の歴史もこの感覚に余計に信頼性を与えてしまっています。

けれども、そんな事は絶対に有り得ないのです。

小競り合いが起こると言うことは、
既に紛争地域において双方の軍隊が対峙している事を意味しています。

大規模な奇襲攻撃とは、大規模な軍隊を動員する訳ですから、
ある朝突然始まった訳などあるはずもないのです。

それ以前から大きな大きな外交的懸案事項があって、
全く解決していない実状が絶対にあります。

つまり、軍事的な衝突とは、小競り合いから始まったように見えても、
奇襲だとしても、全てそれは戦略に基づいた軍事作戦だと言うことなのです。

私達日本人のほとんどはこの軍事的な戦略や作戦行動に対して無力です。

「空母いぶき」においても人権派のジャーナリストが「小さな島より島民の命が大切だろう」と呟くシーンがあります。

中国側は日本が尖閣の領有を認めれば直ぐにでも島民は解放するし、
島から撤退すると言います。

日本国内でも賛否両論が巻き起こります。

戦後70年、私達は幸いにも戦争を経験していません。

しかし反面、この事実は、戦争に対しての考えを大きく歪めてしまい、
大変な勘違いを抱いてしまっていると言えます。

日本各地にある巨大なアメリカ軍基地の存在を全く無視して、
日本には憲法第9条がある平和国家なんだと無邪気に主張してみたり。

平和は大切だと言っていれば平和でいられるんだ、とか。

あるいは、日米安全保障条約に反対して、
アメリカ軍を追い出して非武装中立にするんだ、とか。

全て軍事について思考停止している証拠とも言えます。

ここで徴兵制について考えてみたいと思います。

集団的自衛権が問題になった時、
いずれ徴兵制が日本でも再び復活するに違いないと主張する人が沢山いました。

しかし、徴兵制とは何なのかについて、
具体的に考える人はほとんどいませんでした。

リベラル派は、ただただヒステリックに「いつかきた道」と言うだけ。

保守派は「そんな事は考えていない」とうそぶくか、
「検討する必要はある」と言って炎上するか。

この感覚には日本の歴史や映画においてやたらと登場する「赤紙一枚で」と言う表現に諸悪の根源があると感じています。

徴兵制について語る時、必ず言われるのは「昔は赤紙一枚が来たら兵隊として行かねばならなかった。命はとっても軽かったんだ。」です。

これが私達日本人にとって徴兵制を良くも悪くも思い切り軽いものにしてしまっていると感じています。

それはリベラルの側にも保守の側にも同様に言えてしまえるところが恐いと思うのです。

第二次世界大戦までは日本にも徴兵制がありました。

しかし、それは直ぐに出来た訳ではありません。

色々な紆余曲折があってやっとシステムとして構築された経緯があります。

今徴兵制を復活させたとしたらどうなるのか?

これから数字で考えて行きます。

現在の自衛隊の数を挙げてみます。

約25万人弱です。

この数字には予備役と呼ばれる直ぐに招集ができる人達は含めていません。

他国についても同様に現役の軍人数だけの数字で考えて行きます。

日本のある学年(最近の少子化世代)における総人口は約120万人です。

18歳から19歳の男子に2年間の徴兵制を課したとします。

すると18歳の男子約60万人+19歳の男子約60万人で合計約120万人の兵が確保されることになります。

120万人と言う数字になるのです。

これはどういう数字なのか???

選抜徴兵制を実施している中国軍の総数は約230万人です。

選抜徴兵登録制度を実施している世界最強のアメリカ軍の総数は約145万人です。

今現在、約25万人の自衛隊でも凄まじい軍事費が使われています。

導入したら一体日本の経済はどうなってしまうのか?

そもそも戦争のあり方が昔とは非常に大きく違ってきています。

兵器がハイテク化されていますから単純に数を増やせばどうにかなる問題でもありません。

つまり、そもそも現代における徴兵制とは、臨戦体制の国か、現実に戦争をしている国か、
あるいはスイスなどのように永世中立など、
明確な信念がなくてはそもそも維持できるようなものではなくなっています。

とんでもない巨額が必要になってくる超巨大なシステムと考えなくてはいけないのです。

日本の経済を破綻させてしまう可能性すらある超一大事だと言えます。

赤紙一枚などと言う言葉が徴兵制を異様に軽く見せているのは皮肉と言えるかと思います。

最後に余談になりますが、
池上彰氏の番組でやっていた「スクランブル」について書いておきたいと思います。

スクランブルとは国籍不明機が自国の領土内に侵入しようとする行為に対して、
戦闘機が緊急発進して阻止する行動を言います。

国籍不明機とは、そのほとんどの場合において民間の飛行機なんかではありません。

軍用機です。

もっと言うと戦闘機です。

つまり、武器を搭載して殺傷能力満々のどこかの国の軍隊の飛行機が日本に近付いて来る訳なのです。

このスクランブルの回数。

毎年毎年300~900回くらいあるのです。

要するに毎日あるのです。

日本は平和なんだと主張する人がいます。

それはとんでもない勘違いです。

武器を満載した他国の戦闘機が毎日毎日、隙を見せたら侵入するぞとばかりにやって来ているのです。

こういう事実も数字として知っておくべきだと思った次第です。

終わり