31年目の夫婦げんか

 
 
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《31年目の夫婦げんか》
 
デヴィッド・フランケル監督
 
 
2012年、アメリ
 
この映画、かなり面白いと思った。
 
結婚とは一体何なのか???
 
夫婦とは一体何なのか???
 
また、男女の付き合いとはどうあるべきなのか???
 
セックスとはどういうものなのか???
 
そして、老いて行くとはどういうものなのか???
 
とても深く考えさせられると思う。
 
上記の問題に真正面から切り込んで来る。
 
この映画は日本人の夫婦関係にも通じる典型的な老夫婦の物語とも言える。
 
日本の夫婦でもアメリカの夫婦でも似たようなモノなのだな、と感じた。
 
典型的とはどういうものなのか・・・・・
 
それはほとんどの場合において「夫は問題ないと思い込んでいる」ケースだ。
 
そして妻の方は「離婚を考えている」ケースだ。
 
この映画の夫もコミュニケーションが余り上手くはない。
 
毎朝、同じように新聞を読み、同じようにほとんど会話もなく仕事に出掛けて行く。
 
そこには夫婦の生きた会話は全くない。
 
当然、セックスレスが続いている。
 
妻はとても悩んでいて、とうとう夫婦カウンセリングを申し込む。
 
大反対する夫。
 
問題はまるでないし、上手くやっていると思い込んでいた夫。
 
そして結局カウンセリングが始まる。
 
すると想像以上に深い溝が浮き彫りになって来る。
 
妻の考えている理想とはかけ離れている現実。
 
また、夫は夫で別のことを考えていた現実。
 
カウンセリングをすることにより、逆に離婚してしまうケースもあると言う名カウンセラー。
 
それは仕方ないと言い切る恐さを感じた。
 
「私は必ずしも夫婦を続けるべきだと主張する者ではない」と。
 
このまま夫婦を続けていた場合、間違いなくいずれ破綻する、と。
 
そして現実に破綻してしまう夫婦は想像以上に多い。
 
その現実を嫌と言うほど見せつけてくれる映画かと。
 
私達は日常生活においてルーティン作業に埋没して生きている。
 
パートナーとの会話すらもルーティン作業と成り下がってしまう。
 
どうやったら取り戻せるのか???
 
あるいは、気付く事が出来るのか???
 
男と言う存在が本質的に抱えているコミュニケーション能力の欠如は非常に痛い。
 
熟年離婚のケースにおいて、離婚を切り出されて愕然とする男が非常に多いと言う。
 
「何故だ?」と。
 
当ブログにおいて、何度も何度も男性のコミュニケーション能力の程度の低さは凄まじいと書いている。
 
男と言う存在は、その自分のレベルの低さに気付きもしないまま生きている。
 
また、セックスについて、
「超越者である」と振る舞おうとする重大問題についても切り込んでいる。
 
熟年の場合、これも男性の方が「超越者」である事を示そうとする。
 
「もう、いい年をした大人なんだから、そんな事を今さら・・・・・」と。
 
しかし、女性の方はそうはいかない。
 
性の充足が得られない人生を不幸と捉えている。
 
老いた男にとって、セックスとは時に恐怖をもたらす存在となる。
 
果たして可能なのか?と。
 
この映画においても描かれていた。
 
試すのだが・・・不能である自分を思い知らされる。
 
これで終わりなのか???と鑑賞者は思うであろう。
 
しかし、カウンセラーはここで思いもしない事を口にする。
 
今からが始まりなんです、と。
 
これは悪い事ではない、と。
 
カウンセリングを終えて、日常生活に戻って行く2人。
 
そして・・・と言うストーリーだった。
 
上手い。
 
この映画は実に上手に作ってあると思う。
 
大人の映画だ。
 
男と女の関係を真面目に考えている大人には絶対にお勧めする。
 
終わり