優しい犬の最期について

犬を飼い、適切な関係を保っている場合。

犬は死の最期の時まで従順であろうとする。

犬は一旦家族となった場合、
その家の子供が小さい時は命をかけて守ろうとし、
大人になれば、優しく従う事にためらいすら見せない。

痛みや苦しみにも耐え、
飼い主に喜びと楽しみを与えてくれるかけがえのない存在だ。

だが、時に余りにも痛々しく・・・・・

正視できない状況になる事がある。

もう今から何年も前のこと。

ちょうど今頃の季節だった。

その日は暑くはなかったが、
梅雨のシトシト雨の中、いつものボール遊びをするために、
誰もいない夜の公園に行った。

娘の友達も一緒だった。

いつもと変わらないボール遊びをした後、
まだまだ若い遊び盛りの犬を連れて家に戻った。

娘の友達の家に行く事になった。

その時。

犬が水を飲みたい仕草を見せた。

だが、その友達の家(直ぐ近所)で飲ませれば良いと私は判断し、
犬にダメだと言って、そのまま直行させた。(徒歩1分くらい)

その家で直ぐに水をやったが、その時はほとんど飲まなかった。

犬を玄関先に残し、家に上がり話し込んでいた。
(もちろん水は何時でも飲めるように横に器を置いていたのは言うまでもない)

突然「グキュイ~~ン!!」と言うような嫌な鳴き声を犬が上げた。

直ぐに普通じゃないと思い、玄関先へ飛んで行った。

犬の意識が半分無くなりかけていた。

抱きかかえ、自宅に走った。

心配する娘に、
「これは熱中症だ。そんなに暑くなかったから大丈夫だと思っていた。
 大失敗だ。死ぬかも知れない。」と率直に語った。

家に到着後、直ぐに放水を開始し、犬の全身を冷やし始めた。

同時に獣医さんに電話。

診療時間は終わっていたが、診てくれるとの事。

獣医到着までの約30分、ともかく冷やし続けた。

だが・・・その間も。

犬は・・・失いかけて行く意識の中で私の命令を待ち続けていた。

私は「伏せ」を命じた。

楽にさせたかったからだ。

「伏せ」をした犬に水をかけ、
ともかく特に頭部を中心として体温上昇を抑えた。

獣医が言った。

「今晩が峠です。熱中症の死亡率は50%なんです。」と。

幸い、犬は生還した。

だが。

今でも私はこの季節になると。

死ぬまで従順であり続けようとした犬に対し。

申し訳ない気持ちになってしまう。

この気持ちは。

犬を飼う上で持ってはいけない気持ちなのにも関わらず。

終わり



余談:例え死に直面する事態になったとしても、
   飼い主は絶対的な専制君主であり続けなくてはいけない。
   オレの命令にさえ従っていればオマエは幸せなんだ、と。
   一般的日本人にとって犬を飼うのは難しい。



超余談:以前にも書いた。
    ある在日米軍の家族が犬を飼っていた。
    任期が切れ、アメリカに戻る事になった。
    だが、そのアメリカの家は犬を飼えない状況だった。
    そこで日本で引き取ってくれる人を探した。
    しかし、とうとう見つからなかった。
    日本を去る最後の日。
    その飼い主は。

    犬を銃殺した。

    この是非はそう簡単に問う事は出来ない。
    だが、少なくともこうは言える。
    飼い主としての責任感の強さが一般的日本人の比ではない、と。