東京で一番の贅沢(^W^)

2012年5月26日(土)

東京で一番の贅沢をした。(笑)

贅沢には3種類ある。

1つは美食。

もう1つはH。

これらの贅沢は・・・ありきたりだ。

そしてこれらの贅沢だけでは人間は幸せにはなれない。

これらだけを追求した場合、どこか蔑まれてしまうのがオチだ。

最後の1つ。

それは「精神の贅沢」。

こればっかりは人間の心と言う目に見えない場所に作用する厄介なモノでもある。

そして高度な精神の贅沢をするための手段は限られている。

「芸術作品に触れること」

これ以外には有り得ない。

素晴らしい文学作品、美術作品、音楽を鑑賞することで人の精神は高度に洗練され、
そして最強の贅沢を手に入れることが出来る。

実際、歴史的に最強の富と権力を得た連中は間違いなく、
この芸術の分野に足を踏み入れて行く。


天下を手中に収めた人間は最終的に芸術に到達する。

だが、芸術作品を鑑賞するのは難しい。

心が平安な状況、すなわち恵まれた状況にある者にしか許されないからだ。

不安定な環境にいる者は芸術どころではなくなってしまう。

自分の今の状態を知るバロメータにもなるかと。

少なくとも、音楽を聴いたり絵画展に出掛けられている者は不幸ではない。(笑)

さて、その中でも絵画鑑賞。

これは現代日本において最も厄介な分野だ。

例えば数年前に六本木の国立新美術館であったオルセー美術館展。

あるいは間も無く来る上野の東京都美術館で開催されるマウリッツハイス美術館展。

人類史上、傑作中の傑作がやって来て鑑賞できるのは無上の喜びであり、
また大変幸運なことでもある。

しかし、だ。

オルセー美術館展に行った人は知っていると思う。

人、人、人・・・・・・・

とてもゆったりと鑑賞出来る状況にはない。

鑑賞しないよりは遥かにマシなので行くが、
芸術鑑賞と言うには程遠い環境になってしまう。

まあ、それはそれとして諦めるしかない。

だが、視点をちょっと外すと東京には信じられない空間があるのに気付く。

個人的に今の私が最高峰と思っている場所をご紹介したい。

先ずは「場所」だ。

意外にも場所は非常に重要だ。

どんなに優れた芸術作品でも○×△や□○△などで鑑賞してもちょっと、ね。(爆)

そこで現在の首都圏において一番リッチで優雅な場所と言えば・・・・・

生まれ故郷の西麻布と言いたいところだが、
残念ながらやっぱり「白金」でしょう。(^^;

女性誌で騒がれている「シロガネーゼ」の本拠地。

ここに最強と思われる穴場中の穴場の美術館がある。


その立地条件、閑静度、人がいない度、リッチ度、作品のレベル、
それらの総合得点が最高峰にある。

もし、朝一番で行った場合、
例え休日でも信じられない世界が展開している。

お見せしたい。



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松岡美術館(東京・白金)。
 最寄駅は東京メトロ南北線及び都営三田線の「白金台」駅より徒歩約5分。



イメージ 2

↑今回の特別展は驚くような素敵な作品があった。
 また、ここは常設展も見逃せない。
 


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松岡美術館内部。
 入って直ぐ正面に庭園が見える。
 ここが都心とは絶対に思えない閑静な空間が展開している。
 こう言った辺りが白金の実力だ。
 最高級住宅地の中にあるこの一角は本当に素晴らしい別世界だ。



イメージ 4

↑美術展示室内部。
 
松岡美術館の素晴らしい事の1つに「撮影可」がある。
  携帯電話の撮影は不可だが、
  フラッシュとシャッター音を消したデジカメ撮影はOKなのである。(^^v
   

誰もいない・・・・・

朝一番の松岡美術館・・・本当に私以外には誰もいない。

シーーーーーーーーーーンと静まり返った美術展示室には・・・・・ 



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シャガール・・・・・



イメージ 6

ローランサン・・・・・



イメージ 7

モディリアーニ・・・・・



イメージ 8

ユトリロ・・・・・



イメージ 9

↑キスリング・・・・・



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ピカソ・・・・・



そして・・・・・



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↑景徳鎮窯・・・・・



イメージ 12

↑龍泉窯・・・・・



他にも素敵な作品が沢山あった。

これらを・・・たった1人でゆったりと鑑賞出来るのである。

私が退室する頃、何人か入って来た。

しかし、都内の大美術館の超大混雑を知る者からすると、
この松岡美術館における朝の鑑賞は信じられないだろう。

ヨーロッパの平日の美術館に匹敵する。

これは贅沢である。

他の追随を許さない贅沢である。

そんな環境が800円で手に入る。

しかもこの松岡美術館は「ぐるっとパス」が使える。

極めて、極めてリーズナブルに東京で一番の贅沢が手に入るのである。

終わり