獲物を殺す喜びと男に生まれた喜びと

高度に都市化された現代社会。

自動車に乗ってスーパーマーケットに行く。
そこにはキレイにパッケージされた肉や魚が売っている。

もう、都市部の人間はこう思っているだろう。
「肉や魚は最初から切られている物」と。

しかし、釣り師は知っている。
もちろん漁師や猟師達も。

我々は生き物をブッ殺して食っているのだ、と。

傲慢な都市在住人は決して見ようとしない。
殺す現場を。
そして言う。
「残酷よ」と。

私は脳検査をしたら「超男脳」と診断された。
孤独なハンターの末裔と。

なるほど、と思った。

私は釣りが大好きだ。
魚を殺す事に何のためらいもない。

猟にも大変興味があり、猟銃等所持許可証を取得した事すらある。
(余りにも面倒臭いので実際の所持は断念)
銃器も大好きだ。
ハワイでは、44マグナム、ショットガン、短機関銃、ライフル、ありとあらゆる実銃をぶっ放してきた。

おそらく、私は猟だったら、何のためらいもなく引き金を引く事ができると思う。

ヘミングウェイの大好きな短編の中に、
釣った鱒を大切に扱いながら、急に殺すシーンが出てくる。

食べるために生き物を殺す事。
ここには「喜び」が存在していると思う。

この感覚は「原始の心」なのであろう。
「野蛮な心」なのであろう。

でも、スーパーに整然と並んだパッケージを見て、
殺戮工場を想像し、肌寒くなるのは私が変だからか?

野蛮人の私は・・・ナイフを持ち、釣りに行き、魚を殺す事に喜びを覚えている。

そして、殺した魚を持ち帰り、
家族が喜ぶ姿を見た時、
「男に生まれた喜び」を感じる。